じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa


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[今日の写真] 6月頃に100円のポット苗を植え付けておいたところ、写真のようにこんもりと茂った。正式な種名は不明だが、「箒草」と呼んでいたように思う。
{8/21追記]こちらに説明があった。



8月20日(日)

【思ったこと】
_00820(日)[_008PC]評判どおりの桃源郷ではあったが、「ワンピン、スクール」にはウンザリ


下記の内容を加筆修正して、こちらのエッセイに再掲しております。そちらのほうでお読みいただければ幸いです。

 パミール横断旅行のうち、フンザ滞在中の写真をこちらにアップした。

 フンザはイスラマバードから727km、険しい山岳地帯の中に形成された古い歴史をもつ、標高2500mほどの町である。ロシアの南下策に対抗して英国がこの地に進駐するまでは独立した王国になっていた。国王の子孫は今でも古城近くの邸宅に済み、住民から敬愛されているという。

 旅行会社のパンフなどでは、この地をきまって「桃源郷フンザ」と呼んでいる。名付け親が誰であるのか知らないが、じっさい、がれきの山に囲まれた谷沿いの道を何日も進んでいると、こんな先に人の住む町があるなんて信じられないという気分になってくる。そうした谷間が開けて、アンズの実をいっぱいつけた木々がしげり、雪山の間から太陽の光がふりそそぐ明るい町並みが忽然と姿をあらわせば、誰でも、ここが桃源郷なのかと実感する。そういう点では、まさに広告に偽りのない桃源郷そのものであった。なお、このフンザは、宮崎駿監督の「風の谷のナウシカ」のモデルになった所だとも言われているが、ビデオや単行本(全6冊)をざっとチェックした限りでは、特にそれを示唆するそっくりの景色は表れなかった。

 フンザの「フンザビューホテル」からは、ウルタル、ラカ・ポシなど7000mを越える山々が四方に見える。こういう所は、一週間ぐらい滞在してのんびりと読書や書き物でもしながらすごすべきところかと思った。世界的に見ても、7000m級の山々を四方に眺められるホテルというのはそう多くは無い。20年以上前に、ネパールヒマラヤのエベレストビューホテルに立ち寄ったことがあるけれど、そちらのほうは正面にエベレストをのぞめるものの、周囲の山は6000m級であり、四方の景観だけを比較すればフンザのほうがはるかにまさると言っても過言ではないように思えた。

 フンザの周辺には、アルチット城、バルチット城という2つの古城のほか、ホパール氷河などいくつかの観光ポイントがある。ここまで来られればクンジェラブ峠越えができなくても4割ぐらいは満足して帰ることができそうだ。

 このように手放しで賞賛できる景観ではあったが、1つだけ気になることがあった。それは、道を歩いていると必ず子どもたちがついてきて「ピン」、「ワンピン」、「スクール」などと言って手を出すことであった。最初は「1ペニー頂戴」という意味かと思ったが、手のひらに字を書くしぐさなどから、「ボールペンをくれ」という意味だと納得。それにしても、笑顔で「ハロー」と近づいてきて二言目が「ピン」では面食らってしまう。そして、ペンをくれないことが分かるとさっさと別の観光客に矛先を替えてしまう。これでは子どもたちとフレンドリーな会話はできない。

 このことについて、現地のガイドさんに「なぜあのようにペンを欲しがるのですか。日本製のペンが特別上等だとも思えないけれど.....」と尋ねてみた。ガイドさんは、「それは観光客側にも責任がある。最初の頃に訪れた観光客たちがペンを配ってしまったために、ねだればペンをくれると習慣づけられてしまった。しかし、本当にペンを寄附したいなら学校の先生にまとめて寄附すべきである」というように答えられた。これはまさに強化の原理と言えるが、少なくとも私が目にした範囲で、現実にペンをプレゼントしている観光客は誰も居なかった。なかなか消去されないというのも不思議なことである。

 この、「ピン」という物ねだりはペシャムのモーテルからフンザを過ぎる500kmあまりの区間で出会った子どもたちに共通して見られた。口コミでこれだけ広範囲に広がるとも思えない。そのルーツや伝播の過程がどうなっているのか、念入りに聞き取ったらさぞかし面白い研究になるであろうとふと思った。

 もっとも子どもたちにとって、砂埃をあげながら村の中を駆け抜ける観光客のジープというのは本来何の益ももたらさない迷惑な存在。関わりをもつとしたら、結局は、物をねだるか、アンズなどを買ってもらうしかありえない。お上品な国際文化交流など、この場所では通用しないぞ、と言っているのかもしれないとふと思った。
【ちょっと思ったこと】


占い師が活躍するカンボジア

 8/21朝6時台のNHKニュースの中で、カンボジアの占い師の話題を取り上げていた。カンボジアでは王族や政府高官が、重大な決断をする際に専属の占い師に判断を仰ぐ習慣があり、番組でも、専用機の燃料漏れで外遊を延期したシアヌーク国王が、次の出発の日取りを占い師に相談する場面が紹介されていた。

 一般庶民も街角で気軽に占い師に相談する。その内容は、二人の男性のどちらと結婚すればよいかとか、夫婦間のいさかいが絶えない男性からの離婚相談など。番組でも指摘されていたが、カンボジアは、ポルポト政権下での大量虐殺、強制労働、その後の内戦など、国民規模での「心の傷」を抱えており、占い師がそれを癒すカウンセラーとしての役割を果たしているというのは納得できる説明であった。番組では、素人的な無責任な判断がなされる恐れを指摘する現地の精神科医からのコメントもあったが、複雑な現実問題へのアドバイスをするというのであれば、駆け出しのカウンセラーよりも人生経験豊富な占い師のほうがよっぽど役に立つ。あくまで本人の自己責任と主体性が確保されることが前提となるけれども、占い師によって与えられる励ましや確信はポジティブに評価してもよいのではないかと思った。
【今日の畑仕事】

長ネギを収穫。雑草取り。ニンジン、ダイコン、小松菜、チンゲンサイの種蒔き。
【スクラップブック】