じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 岡山では最低気温が氷点下3〜4度となる寒さが続いているが、我が家の室内は石油ファンヒーター一台だけで何とか持ちこたえている。窓際の観葉植物類も元気。写真には9種類ほど写っていますが、全部分かりますか?



1月17日(水)

【ちょっと思ったこと】

アルカリ性食品から尿アルカリ化食品へ

 夕食時にNHKの「ためしてガッテン:アルカリ性食品の真実」を見た。私が学生の頃は「アルカリ性食品をたくさん食べよう」などと盛んに言われたものだが、最近この宣伝文句を全く耳にしなくなった。番組によれば、こうしたアルカリ性食品が隆盛を極めたのは1980年頃。その後、山口迪夫さんを中心とした日本の栄養学者たちが「食物の摂り方を変えても血液のpHは変わらない」と、この神話を否定。その後、公正取引委員会が、「アルカリ性食品だから健康に良い」というような宣伝文句は不当であると審判を下し、ブームは終わりを告げた。

 もともと我々の血液は弱アルカリ性でなければ生きていかれない。酸性食品と言われる肉類ばかりを食べると、尿から余分な酸性成分が排出される。いっぽう野菜ばかり食べた場合は尿はアルカリ性となる。同じことは、肉食のネコ(尿は酸性)と菜食のウサギ(尿はアルカリ性)を比較した場合にも言えることだ。食べ物が消化吸収の段階でどうあれ、健康な体は尿の排出によって血液を弱アルカリに保とうとする。その限りでは、アルカリ性食品をたくさん摂る必要は全く無い。ただし、痛風や腎結石を予防するには尿をアルカリに保つ必要があり、アルカリ性食品と呼ばれていたものは、少なくとも「尿アルカリ化食品」としてそれなりに意味があるというのが番組の結論であった。

 そういえば、私が大学院の頃に、「アルカリイオン飲料」であることを売り物にした健康飲料がたくさん売れていた。大学の生協店舗内にも広告ポスターがいっぱい貼られていたので、ある時、生協に
  • そもそもあの飲料はアルカリ性ではない。消化吸収の段階でアルカリになるわけでもない。
  • アルカリイオンは含まれていない。
として「あの健康飲料の宣伝は事実に反している。ああいうものを無批判に売るべきではない。」と投書したことがあった。

 栄養学的に否定されたにも関わらず、当時のアルカリ性食品メーカーにあまり大きな苦情が殺到しなかったのは何故だろうか。おそらく、それを食べ続けても害にはならず、むしろ、野菜などは繊維類が多いという別の意味で健康に良く、またコレステロール増加防止にもなったことが、結果的に非難に繋がらなかったのだろう。

 ちなみに、番組によればかつての「アルカリ性食品ブーム」は日本特有の現象であったという。日本人が周りに影響されやすいためか、クリティカルな判断を苦手とするためか、あるいは健康保持に特に敏感なためか。相変わらず、ファイバー入りとか、深層水とか、ま、それなりに効用はあるかもしれないが、そればかりを求めて過剰に反応しすぎているところがあるように見える。それでも、錠剤に頼りがちな米国人よりはいくらか健全であるようにも見えるけれど.....。

※[1/18追記]こちらに番組の詳しい紹介があった。
【思ったこと】
_10117(水)[一般]21世紀の学会年次大会も同じスタイルが続くのか?

 1月は今年行われる各種学会年次大会の発表申し込み締め切りの時期になっている。私の場合、国内学会と国際学会の締切がいずれも1/30となっており、題目と発表要旨を確定しなければならない。自主シンポの申し込みをする場合は、これに加えて共同企画探し(←今からではもう遅い?)、話題提供者の確定を進めなければならない。この時期にいつも思うのが、年次大会のスタイルの保守性である。

 学会や学会年次大会のスタイルについては以前にも日記に書いたことがある(例えば4月23日)が、現実には私が30年近く前、学生の頃に参加した時とあまり変わっていない。典型的なスタイルは、大会事務局で企画する招待講演やシンポジウム、会員が自主的に申し込むワークショップ、個人発表など。変わったことと言えば、スライドを使った口答形式の発表がOHP利用(最近ではノートパソコン・プロジェクタ利用)及びポスター発表形式になったことぐらいのものか。もう少しネットを活用した日常的な交流を重視し、ネットでできないことだけを年次大会に持ち込めば、交通・宿泊費や移動時間の節約になってよいのではないかと思うのだが、なかなか実現しない。

 学会年次大会のスタイルがあまり変わらないのは、根本的には、個人の研究活動を強化する社会的なシステムに原因があるのではないかと思う。要するに、他者にどれだけ影響を与えようと与えまいと、今の世の中では、とにかく発表したという実績だけが評価されてしまう。

 情報を与える(まき散らすだけ?)行為に対して、情報を吸収するほうははなはだ心もとない。Web日記でも書かない限り、年次大会で何を新しく身につけたのかは一カ月も経てばすっかり忘れ去れてしまう恐れがある。じっさい、別の会合で「昨年の年次大会はどうでしたか?」などと知り合いに聞くと、
  • 私は○○の発表をしました。
  • 会場では久しぶりに○○さんに会いました。
  • ○○先生は御著書から想像されるよりずっと若かった。
  • シンポは、時間切れ言いっぱなしで何も得るところが無かった
というような感想ばかりが目につく。その大会に参加して何が獲得されたのかをちゃんと言える人は少ない(←だからこそ、Web日記等で早めに総括しておく必要があるとも言える)。

 年次大会の個人発表やシンポでは、「何をやったのか」という実績発表(=化石?)ではなくて、会員各自がいま「何をやろうとしているのか」という未成熟なアイデアを出し合うような企画があってもよいと思う。アイデア盗用の恐れの多い技術系の学会では無理だろうが、文系の学会などでは、過去の成果よりも未来の展望を語り合う集まりのほうが得るところが大きいようにも思える。などど言いつつ、今年もまた既存のスタイルに合わせて申し込み準備を急がなければならない時期になってしまった....。