じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
1/20はセンター試験一日目にあたるが、8時半頃からあいにくの雪となった。一時は写真のように屋根や空き地が真っ白になるほどに積もったが、その後みぞれから雨に変わり、昼すぎにはすっかり融けた。 |
【思ったこと(2)】 _10120(土)[生活]ポストカプセルやっと手元に(4)当時の人気クイズ番組 東京出張などのためすっかり間があいてしまったが、1/11の日記の続き。今回は当時のTV番組について。 ポストカプセルの中には、1985年8月26日から9月1日までの視聴率を紹介した切り抜きが入っていた。そのなかではクイズダービーが一番印象に残っている。出演者自らが解答するそれまでのクイズ番組と異なり、この番組では、レギュラークイズ解答者と、ゲーム参加者が別々になっていた。競馬と同じく、クイズ解答者側にも本命(はらたいら氏など)や大穴(しのざわ教授など)があり、大橋巨泉が設定した倍率を考慮しながら持ち点を賭けていく。持ち点は3000点から始まり、10万点で打ち止めとなる。持ち点がいくら増えても500点しか賭けない参加者が多かったところも興味深い(期待値や賭ける回数を考慮すれば、毎回、持ち点の1/4程度を賭けたほうが得になるはず。そのわりにオーラスではぜんぶ賭ける人が多かった)。 このクイズ番組は、家庭内でも同じように持ち点を賭けて楽しむことができた。これまでのクイズ番組と違って問題そのものに答えるわけではないので、子どもでも知識豊富な(はず?)の親に勝てることができる。このあたりに人気のヒミツがあったのではないかと思う。 大橋巨泉氏が司会した番組としては、このほか「11PM」、「巨泉のこんなものいらない!」が記憶に残っているけれど、代表番組を1つ挙げるならやはりこのクイズダービーであろうと私は思う。 ランキングに載っている番組の中では「なるほど!ザ・ワールド」もよく見ていた。クイズonlyではなく、今で言えば「世界ふしぎ発見」に近いスタイル。ランキング表には無いが、「ドレミファドン」、「アップダウンクイズ」なども長続きしていた。アップダウンクイズは私が小学生の時に始まった番組であり、開始以来一貫して「夢のハワイと賞金20万円」。「他者よりいかに先に答えるか」と「間違えたら振り出しに戻る」をゴンドラのアップダウンで視覚的に分かりやすく表現したところに魅力があった。もっとも今の時代、断片的知識だけを問うようなクイズ番組はもはやレギュラーとしては成り立たないように思う。 このほか、当時の番組表の中で記憶に残っているものを順不同(局名は関西または名古屋地区)でかかげると
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【ちょっと思ったこと】
ドラクエ7その後 息子は、14時過ぎから20時半頃まで、食事時間を除いてずっとドラクエ7に熱中←この集中力を何かに使えないものか。昨日見つからなかった石版を探し当て、無事?裏バージョンに移行。そこでさらに「かみさま」と戦って石版3枚を手に入れ、裏裏バージョンに入ったが、人間化した「かみさま」とに勝っても特に目新しいものは貰えない。ここで終わりと考えてよいのでしょうか。どなたかヒントなどいただければ幸いです。 |