じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 8月最終日の風景。左はアパート下で行われていたラジオ体操最終回。娘が中学生になったことで、我が家からの参加者は今年からゼロとなった。
右の写真は夕刻に見たコウモリの乱舞。
[今日の写真]



8月31日(金)

【ちょっと思ったこと】

幼稚園の幼なじみから電話をもらう

 いつものように8時過ぎに研究室のドアを開けると、一通のFAXが届いていた。発信者は、N子さん、中学の同窓生というかっこ書きが付け加えられていた。内容は、心理学関係の外国雑誌の所蔵を問い合わせるものだったので、こちらで検索した内容を数行に記してごく事務的にFAXで送り返した。

 それから30分ほど経った頃、電話がかかる。正確な情報をどうもありがとうございましたという、N子さんからのお礼の電話だった。声を聞いたのは20年ぶりのことであった。しゃべり方はすっかり「おばさま」調になっていた。それもそのはず、10月には私自身も49になる。当たり前のことだが、私の同窓生は今年度中には一人残らず49歳になるのである。

 それにしても、N子さんとはずいぶん昔からの知り合いだ。最初に会ったのは何と幼稚園の年中組の時、そのあと同じ中学と高校に通ったがZ会の通信添削問題を解いてもらった以外はこれといったつき合い無し。さらにそのあと、大学院生の頃に2回ほど街角で偶然出会っただけだった。時間間隔が空きすぎているだけに、毎回、人間というのはこうも変わるものかと驚かされる(←向こうも同じことを思っているに違いない)。

 念のため聞いてみたところ、ネットは全く利用したことが無いとか。98年3月6日の日記を読まれていなくてよかったよかった。



SHREK

 夕食後の夫婦の散歩は、妻の希望でレンタルビデオ屋に。一本100円の特別割引の日なのだそうだ。先日のカナダ旅行で、トロントからバンクーバーへ向かう帰りの飛行機の中で『SHREK』というCGアニメ映画を見たことを思い出し、これをぜひもう一度、と店の人に尋ねてみたが、置いていませんという返事だった。

 『SHREK』はCG特有のリアルさに加え、この種の童話風のストリーに慣れ親しんだ者にとっては意表をつかれるような結末の面白さも1つの魅力になっていると思った。
(ネタバレ防止のため、以下の部分はなぞってください)
初めの部分は居眠りをしていて見損なったが、確か、若く美しい王女が、不格好だが人間味あふれる怪物SHREKとロバと一緒に冒険をするというような話だったと思う。通常この種の童話は、不格好な登場人物が美男子の王子に変身してメデタシメデタシとなるところなのだが、この映画では、美しく勇敢な王女が不格好に変身してメデタシメデタシとなった点が予想を覆すものであった。「外見より心」ということを言いたいのだろうが、外見に左右されるというしがらみから抜けきれない部分も併せて描かれていたと思う。 ビデオ化されないのだろうか。

「お互いを更新する掲示板」で『SHREK』について情報をいただきました。深く感謝いたします。
  • 【赤尾さんからの情報】日本での劇場公開がそもそも2001年12月。日本語字幕/吹き替えを含んだビデオ・DVDの発売は2002年6〜7月かと。
  • 【daisukeさんからの情報】当該サイトはこちら
  • 【赤尾さんからの情報】原作絵本の『みにくいシュレック』(ウィリアム・スタイグ)の紹介はこちら
【思ったこと】
_10831(金)[心理]行動分析学会年次大会(4)ネットを利用した大学教育〜行動をいかに強化するか〜

 8/30の日記の続き。

2日目午後:シンポジウム「ネットを利用した大学教育〜行動をいかに強化するか〜」

 このシンポは長谷川自身が企画したものであり、パネリストとタイトルは
  • 河嶋孝・真邉一近(日本大学):ネットを利用した通信制大学院の現状
  • 向後千春(富山大学):個別化教授システム(PSI)における強化要因
  • 【指定討論】望月要(メディア教育開発センター)
という構成になっていた【敬称略】。

 企画主旨は
ネットを利用した大学教育についてはすでに多くの場で議論が行われているが、教員と学習者のあいだの行動に焦点をあてたものは少ない。いくら設備を充実しても、あるいはいくら講習会を実施しても、適切な利用行動が強化されなければ教育方法として機能しない。本シンポは、ネットを利用した教育において、教員と学生間、あるいは学生どうしのコミュニケーションを活性化するために、何をどう強化すればよいのかを考える目的で企画された。
となっており、初めに長谷川のほうから、15分ほどの補足説明を行った。その中では、学部教育におけるネット利用に関して
  • 授業を補完する手段として利用する場合
  • ネット利用を前提として演習を行う場合
の2つがあることを指摘し、私自身の公用サイトのコンテンツを紹介しながら、教える側の行動と学ぶ側の行動それぞれにおいて、授業専用掲示板書き込みなどいくつかの行動を強化する必要のあることを強調した。

 河嶋孝・真邉一近氏(日本大学)の話題提供では、1999年に開設された通信制大学院教育におけるネット利用の現状と問題点が報告された。Eメイル送信やディスカッションルーム(ネット掲示板)書き込みにはかなりの個体差が見られること、特に非専任でEメイル返信の割合が低い教員が見られることなどが指摘された。

 2番目の向後千春氏(富山大学)は、ちはるの多次元尺度構成法(日記)の執筆者の、ちはるさんであった。話題提供者の御紹介の際にも、日記才人の画面を投影しながら「向後さんとはこれまで4回ぐらいしかお会いしたことは無いが、Web日記のおかげで、何をしておられるのかが毎日わかる」と、ネット利用の有用性(有害性?)を強調させていただいた。

 実際の話題提供内容とフロアからの反応については、ちはるさんの日記(8/24分)に記されているのでそちらをご参照いただきたい。ちはるさんが紹介された授業風景、あるいは佐藤方哉先生のコメントにもあったが、。PSIというのは、教材作りの面でも運用面でもかなりの負担を強いられるような印象を受けた。Web化により機械化できる部分があるとはいえ、事前の準備はもちろん、学ぶ側の行動と、教える側の個別対応行動の負担はそれほど軽減されない。(一部重なる面もあるが)通常の教材を使った少人数グループ学習との効率性比較も必要になってくるのではないかと思った。

 最後の、望月氏による指定討論は、ネット利用の本質に関わる重要内容を含むものであった。望月氏によれば、コンピュータやネットを利用することには2つのタイプがある。長谷川自身の言葉でこれを解釈すると次のようになるかと思う。
  • それらの媒体・手段の特性がもたらす強化因
    →例えば、「直ちに結果が出る」、「動画が面白い」、「手間が減る」、「膨大なデータを処理できる」など。
  • それらを利用する中で人間自身によってもたらされる強化因
    →例えば、「MLや掲示板での発言に反応する」、「日記才人での投票や日記読み」
 望月氏によれば、このうちの前者は言わば「目新しさ」のようなもので、書籍と紙と鉛筆を主体に生活していた世代にとっては大きな強化因となるが、最初からパソコンやネットが存在していた時代に育った世代にとっては遅かれ早かれ「当然のこと」として受けとめられるようになる。結局のところ、重視されるべきなのは、人間行動によってもたらされる強化(あるいは時として弱化)因のほうである。望月氏はこういうことを強調されたのではなかったかと思う。

 確かに今のうちは、「目新しさ」だけで強化される面が多い。このシンポを含め、最近ではパワーポイントを使う講演者が増えてきた。最初のウチは、内容に多少不備があっても、スクリーンのカラフルな画面、効果音、背景、文字の動きなどの目新しさに救われて何となく素晴らしいプリゼンテーションであるかのように錯覚されてしまうことが多い。しかし、発表者の全員がパワーポイントを使うようになった時点では、結局のところは、発表の内容性、ロジックの妥当性などが物を言うようになる。

 パソコンを利用した教育の場合も同様であり、例えば、幼児向け教材でいくら動画やインタラクティブな機能を増やしても、それだけで売り上げを伸ばすことはできない。けっきょくは教材が充実した内容を含んでいるかどうか、学習行動を適切に強化できる仕組みが備わっているかどうかが物を言うことになろう。ビデオゲームも、種々の案内サイトも同様である。

 今回のシンポを契機に、ハード面での目新しさや機能性ばかりでなく、利用者側の行動面での強化の問題に、より多くの関心が向けられるようになることを期待したい。