じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 岡大南北通りの銀杏並木。毎年書いていることだが、南北方向の銀杏のほうが黄葉が早い。この程度の銀杏並木は他大学にもあるだろうが、時計台の向こうの半田山を借景とし、その半田山も大学構内というスケールの大きさが岡大の自慢である。



11月3日(土)

【ちょっと思ったこと】
猿の惑星第一作とソイレントグリーン

 フジTV系で21時から放映されたゴールデンシアター 「猿の惑星」(1968年アメリカ)(デジタル編集版)[フランクリン・J・シャフナー監督、チャールトン・ヘストン、ロディ・マクドウォール、キム・ハンター]を視た。この映画は、私が高校1年の頃、渋谷の東急文化会館1階の映画館でロードショーとして上映された。

 いまやうちの息子も高校1年であることを考えれば、ちょうど一世代前の映画ということになる。「じつは、同じ名前の映画があったんですねえ、知ってましたか?」などという解説が通用する時代となった。月日の経つのは早いものだ。

 この映画の主人公テーラーは、ラストシーンに至るまで自分が未来の地球に戻っていたことに気づかない。これについては「サルたち(正確には類人猿たち)が英語を喋ったりアルファベットを知っていたのに、なぜ地球に戻ったことに気づかないのか」というツッコミをたまに聞くことがある。[最近ではWebcolum(7/25)さんや天地無朋(過去ログ検索できず)]。またその理由としては、「米国人は、宇宙のどこへ行っても英語が公用語であると思い込んでおり、自由の女神を見て初めて自分の国であることに気づく」と説明されることがある。もっとも、映画の世界では、宇宙人もクレオパトラもシーザーもみな観客と同じ言語を使うことが暗黙の了解となっているので、これをもって英語帝国主義論をぶちまけるわけにもいくまい。

 とにかく、この映画は、最後のシーンとその直前に交わされる人間の本質についての会話がすべてである。この映画が公開された当時はベトナム戦争の真っ最中であり、さらにその背後には米ソ超大国の対立があったため、核戦争による人類滅亡の危機は真剣味をもって受けとめられた。

 その後ソ連は崩壊し、30数年の時を経た今、大規模な戦争の危機はいくらか遠のいたように見える。その反面、唯一の大国として残った米国はテロの脅威におびえている。あの「猿の惑星」の第二作では、ニューヨークの地下廃墟の一部が出てくるところがあるが、世界貿易センターの崩壊現場などはそれと寸分違わぬ風景であるようにも思える。

 98年10月6日の日記読みで取り上げたことがあるが、同じチャールトン・ヘストン主演の映画の中では「ソイレントグリーン」というのも強く心に焼き付いている。こちらは、人口増加、安楽死、情報操作、そして食糧問題がテーマであった。高齢化、地球温暖化、環境ホルモン汚染が進めばますます現実味をおびてくる映画であるように思う。