じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
土星食の様子。デジタルビデオから取り込んでみたが、この程度。 |
【ちょっと思ったこと】
立花隆氏〜じぶん更新の大家〜 3/21朝のNHKホリデー・インタビューに立花隆氏が登場していた。立花氏の著作は何冊か拝見したことがあるが、御自分について語っておられるのを拝聴したのは今回が初めてであった。 立花氏は1940年の生まれで61歳(←ということは、この番組は再放送?)。幼い頃の記憶の底は5歳頃からで、ちょうど戦後の引き揚げ体験が出発点になっている。非安定が原点にあり、そのこともあって、安定した生活をしていると何か間違っているのではという気持ちになるのだという。 高校2年の時、茨城県から東京の上野高校に編入。そこでは、生徒が革靴を履いていたこと、男の子が「〜でしょ」などと喋ることにカルチャーショックを受けたという。雑誌記者を辞めたあとは東大に戻り、さらに新宿でバーの経営まで行う。雑誌巻末にエロ小咄を投稿することも収入源になったとか。 立花氏によれば、能力の中でいちばん大切なのは経験能力だという。それはまた、関心領域の広さによっても規定される。すべての生命の根源は、探索活動にある。ただの生活の営みのために使う時間をなるべく減らし、何にでも使えるという時間が与えられたときにそれを何に使うかが関心領域によって決まってくるということのようだ。 以上、聞き取った範囲について、私自身の生き方と比較してみる。立花氏の足元にも及ばないことは誰の目にも明らかであるが、私も、知りたいという欲求にかけては人一倍の強さがある。こちらの登録者情報表示にあるように、もともと、このWeb日記は じぶんの知識や技能が“更新”された時にその内容を記録し、昨日と違うじぶんを作っていきたいと思う。という趣旨で執筆開始されたものであった。 もっとも、私の場合は、「ただの生活の営みのために使う時間」は必ずしもムダとは思っていない。単純作業であれ、季節に応じた年中行事であれ、じぶんが能動的に働きかけ強化される限りにおいては、知的好奇心を満たす行動と同じくらいに生きがいになる。仮に自分が痴呆症になって知的活動ができなくなったとしても、そこでなお、自立的な行動やちょっとした園芸作業、ゲームなどに興じることができれば、それはそれで楽しい生活になるのではないかと思っている。 そういう意味では、「知的好奇心を満たす」というのも、本で調べたり人から教えてもらう以前に、自分でどれだけ考えたか、自分の体験に基づく解決ができたかということを重視していきたいと思っている。つまり、手段を選ばずに「知識の獲得量」を増やすのではなく、量は少なくても、「能動的な探索活動によってどれだけ解決できたのか」という「オペラント行動とその結果」の蓄積を喜びとしていきたいと考えている。いや、そのお手本を示しているのが立花氏その人なのかもしれないが。 番組では立花氏の「なりゆき」観について興味深いご発言があった。最初から大目標を立てて着実に達成した人はあまりいない。殆どの人の人生はなりゆきで決まる。人生それぞれのポイントにおいて、目の前に置かれている選択の幅は限られているが、その際の選択の積み重ね、そしてやむを得ず迫られてやったことの集積が人生だというものだ。「なりゆきに任せる」などというと非常に受身的に聞こえるが、それぞれのポイントではちゃんと能動的に選択し、選択した結果ふりかかってきた課題には全力で取り組むというと考えれば、これは相当な能動人生と言える。選択ポイントで決断できず、迷いを払拭できずに二股曖昧な時を過ごすこととは明らかに違うようだ。このことが「活計(たつき)の道」につながるのかもしれない。 インタビューの最後で、「今の仕事をやめて突然旅に出られるか」というような質問があった。しがらみを嫌う立花氏のはずだが、実は、ネコビル建設などで、まだ1億円ほどの借金が残っており85歳までのローンが組まれているのだという。こりゃあ大変なことだと思う。 もっとも年をとると、いろいろな文献を参照して書くというスタイルから、自分の中を見渡して紡ぎ出して書くスタイルに変わってくるのだそうだ。となれば、3万5000〜4万と言われる蔵書[こちらのサイト参照]はいずれ不要になるだろう。立花氏のサインつきで蔵書1冊を3000円で販売すれば、4万冊完売で1億2千万円の売り上げ。これなら夜逃げしなくても、自由に旅に出られると思うのだが、余計なお節介か。 |