【思ったこと】 _20424(水)[心理]結果が伴わないのに行動を続ける理由(1)
今年度の授業の中で受講生に「結果が伴わないのに維持できる行動」という事例を挙げてもらった。今回の講義の前提:
- 【第一の前提】(能動の原理)動物の本質は、「能動」にある。「能動」とは外界に能動的に働きかけることである。
- 【第二の前提】(強化の原理)「能動」は「能動の結果」によって変わる。
- 【第三の前提】(随伴性の原理)「能動」と「その結果」との関係(=「随伴性」)が、「こころ」の必要条件を構成する。
のうち、2.や3.の反例が成り立つかどうかを考えてもらうためであった。そのうち代表的なものと、それに対する私の解釈を記しておきたい。
- 習慣的に「いただきます」や「ごちそうさま」と言う
確かに大人になってからは、「いただきます」と言わなくても叱られることはない。こういう行動が続くのは、幼少時に躾られた行動が消去されずに残っているか、もしくは、「いただきます→箸をとる→食べる→箸を置く→ごちそうさま」という一連の動作がセットとして強化・維持されているものと考えられる。分化強化や分化弱化を導入しない限り、コンポーネントの一部が消えることは無いだろう。
- 何かをする時のクセ。例えば、電話中に髪をいじるとか。
上記の「いただきます」と同様、種々の行動はセットとして強化・維持されることが多い。電話する時、直接面談する時、大勢の人の前で話す時に生じるちょっとした動作や言い回しなどは、主たる行動とセットになっており、分化弱化手続をとらない限り長期にわたり持続する可能性がある。
- 読まないのに、新聞を購読し続ける
ごく稀に有用な記事を読むことがあれば、部分強化の原理により行動は維持し続けるだろう。しかし、それよりも、ここでは、新聞の中止手続をとるという能動的な行動が起こらないことのほうが原因になっていると思う。じっさい、突然死した人の家にも、しばらくは新聞が配達され続けるだろう。クレジットカード、各種学会などのように入会は簡単だが、いざ退会するとなると手続が面倒な場合も多い。
- マネをする
学校、地域、会社などに新たに加わる時には、他の成員と同じ振る舞いをしたほうが適応的である場合が多い。この経験の繰り返しにより、過去に模倣して強化されたことのないトポグラフィが模倣されることがある(=般化模倣)。この場合、個々のマネが個別的に強化されなくても、いろいろな動作についてのマネは起こり続けるだろう。
- 植物人間状態の患者の看病
悲しいことであるが、いくら看病しても患者の容態は全く変わらない(=結果が伴わない)ということはありうる。しかしこの場合、看病をやめれば患者は死んでしまう。この種の行動は、「行動すれば現状維持、行動しなければ嫌子(患者の死)出現」という阻止の随伴性によって維持されていると考えられる。
このほか、しばしば「内発的動機づけ」として紹介される事例があるが、これは行動内在的強化随伴性で説明できる。これについては明日以降に詳しく論じることにしたい。
上記の事例にかかわらず、一般には、結果が伴わない状態で行動を続けることは難しい。その励ましとして、例えば、
- 何も咲かない寒い日は 下へ下へと根を伸ばせ やがて大きな花が咲く(マラソン・高橋尚子選手の好きな言葉)
- 細々とやっているんじゃない。着実にやっているんだ。(中谷彰宏「強運になれる50の小さな習慣」)
といった、ルールに基づく言語的な強化が支えとなる場合がある。
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