じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] ギガンティウム。「アリウム・ギガンティウムAllium giganteum」あるいは「ハナネギ」とも言う。植物園などで球状の巨大な花序が並ぶ姿は見応えがあるが、球根の値段が高いのでたくさん植えるわけにはいかない。同じアリウム属(ネギ属)で、Allium schoenoprasumというのはチャイブのこと(右の写真)。この花壇では4月20すぎから咲き始め、すでに花が開ききってしまっている。 [今日の写真]





5月18日(土)

【思ったこと】
_20518(土)[心理]人はなぜ笑うのか

 夕食時、娘が「めちゃ×2イケてる!」とかいう番組を視ていた。この日は「お笑いフィーバーバトル」と題して、お笑いタレントが、宣言した時間以内に大物女優などを笑わせることができるかを競っていたようだった。私自身も「くだらない、未来への教室にチャンネルを変えろ!」などと言いつつ、何人かのタレントの迫真演技には思わず吹き出してしまった。この番組での「お笑い」というのは、落語や漫才とはやや性質が異なる。ご飯を食べる場面を何十秒か見せるだけで笑わせてしまうというのだから、スゴイ。このことから、ふと、人はなぜ笑うのか?と考えてみたくなった。
  • 「笑う」という行動については、おそらく動物行動学、生理学、人類学などでもそれなりに研究されているに違いない。『不思議の国のアリス』では笑うネコが登場するが、現実には笑うネコは居ない。イヌの場合は、ひっくりがえしてお腹をくすぐってやると何となくハッハッと笑うような表情を示すことがある。霊長類になると遙かに表情が豊かとなり、くすぐるとカッカッカッと笑うことがある。おそらくこのあたりから進化してきたものと思うが、適応上どのような利点をもたらしているのか分からない。

  • 人間の場合、くすぐられて笑う場合と、コメディやギャグマンガを見て笑う場合で、同一の筋肉運動が生じることは確かだと思う。クスクス笑いから腹を抱えて笑うレベルまでいろいろあるが、一個人の中ではそれぞれの笑い方は比較的一貫している。とはいえ、くすぐられて笑うだけでは人間は満足しない。むしろくすぐられるのを嫌がる人も多い。

  • 「笑い」は、特定の刺激文脈によって誘発される反応なので、パヴロフの犬の唾液分泌と同様、レスポンデント行動であると考えられる。このうち、くすぐられて生じる「笑い」は無条件反応、話を聞いて笑うのは条件反応ではないかと推測される。但し、後者の笑いには、能動的なオペラントも関わっているように思う(後述)。
 ためしに「人はなぜ笑うか」をキーワードとしてネット検索を試みてみたが、ヒットしたのは5件のみであった。そのうちこちらのサイトには
今までの笑いは100人いたら100人が笑う・・それに対しシュールな笑いは100人中2,3人にしかヒットしないかもしれません
でもその2,3人は日常、そして今までに感じたことのない「(常識の)殻を破ったかのような」「外の世界に出たかのような」笑いを感じられます
という記述があった。おそらく「笑い」にはいろいろな質があり、包括的には論じられないところがあるのだろう。




 「人はなぜ笑うのか」という「WHY」型の問いとは別に、「どういう条件のもとで人は笑うのか」という生起条件探究型の問いも可能である。このことでまず思うのは、人は、刺激そのものではなく、刺激の変化あるいは文脈に依存して笑うということだ。特定の刺激を提示するだけで笑うということは、くすぐられるというような無条件反応型の笑いに限られている。4コママンガで笑うのは、文脈の変化が面白いからである。もちろん1コママンガのギャグもあるけれど、そういうのは、ごくありふれた存在との比較対照や、描かれている人物の社会的背景が頭に浮かぶから笑えるのであって、1コママンガの絵だけに独立して反応しているわけではない。福笑いの遊びなども、もともとのオカメの顔と、並べられた目鼻口の位置に違いがあるから「こんな顔になった」と言って笑うのである。

 では、一般にはどういう文脈変化が笑いをもたらすのだろう。上掲のサイトによれば、(シュールな笑いでない)一般的な笑いは、
”まずAがあって・・”
→”次にBがこう来るのに・・”
→”Cだけこう来る、ここが変だ”
だから”おかしい”のです
という文脈、つまり「論理的な面白さ」に由来するものであると指摘されていた。この考え方に基づけば、単に受身的に刺激変化を観察するだけでは笑いは生じない。笑いが生じるためには、「AのあとにはBが来るはずだ」という能動的な予測行動が起こらなければならない。「Bが来るのか、Cが来るのか、全く予測がつかない」という状況のもとでは、おそらく笑いは生じないであろう。

 とはいえ、「論理的な面白さ」が笑いの十分条件でないことも確かだ。なぜなら、数字のカードを「1」、「2」、「3」、...「7」、「8」と見せた上で、次のカードは何ですかと尋ねる。相手が「9です」と答えた後で、「9」ではなく「5」のカードを見せたとしても、笑いが生じるとは思えない。予想を外しただけでは不十分なのである。

 また、ある文脈で、実際の予想と異なる結果になった時は、一般には「笑い」ではなく「驚き」が生じる。チンパンジーに予想外の結果を見せてやると、驚いてその場から逃げ出すか、当惑した表情を示す。

 もう1つ、当事者と観察者での食い違いも面白い。例えば、ある人が驚く場面が観察者にとって笑いをもたらすということもよくあることだ。昔、放送されていた「どっきりカメラ」などはこのたぐいだ。エレベーターのドアが開いたら中からヤギが出てきたなどという場面は、エレベーター利用者にはたいへんな驚きを与えるが、その驚く様子を見ていた観察者は例外なく笑い出す。プロ野球の珍プレーのように、選手の失敗が笑いの種になることもある。この種の笑いをどう説明するのかも興味深い。