じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] ルドベキア。大学構内では、ハルシャギク、テンニンギクと並んで、繁殖力が旺盛な御三家に含められそうな園芸植物。





6月12日(水)

【ちょっと思ったこと】


スポーツ観戦の質は、ビデオ録画を楽しめるかどうかで決まる

 サッカー・ワールドカップの1次リーグが大詰めを迎え、フランス、カメルーン、アルゼンチンの敗退が決まった。サッカーに元々興味がなかった私としては、せめて、定時の番組は動かさず、試合結果の速報や各国チームの情報はスポーツコーナーの中に限定、また、外国どうしの対戦は衛星放送か、深夜の中継録画で放送してもらいたいと思うのだが、政治的な配慮があるのだろうか、ニュースのTop項目の中で取り上げられることが多い。

 それはさておき、6/9の日記にも書いたように、サッカーの観戦を楽しむ人のなかにもいろいろなタイプがあるように思う。
  • 【タイプ1】各選手の技やフォーメーションなどの巧みさを味わう人(←これが真のサッカー通かも)
  • 【タイプ2】細かい戦法は分からないが、とりあえず、鋭いシュートに爽快感を味わう人
  • 【タイプ3】愛国心が強く、どんなスポーツであれ、自国の代表の勝利を願う人
  • 【タイプ4】周りがお祭り騒ぎをしているので、何だか分からないが、そのムードに合わせてワイワイ楽しんでいる人
もちろん、上記のタイプは固定されたものではない。観戦を重ねることでタイプが変わる人もいるに違いない。

 では、どうすればタイプを見分けることができるのか。その1つとして、ビデオ録画を楽しめるかどうかで判定する方法があると思う。仕事などの都合で生中継を視られなかった人に、帰宅後、90分余りの試合すべてを録画したビデオを渡す。また、同時に、試合結果を先に知らせる条件と、内緒にしておく条件を設ける。上記の4タイプ別の予想される行動としては
  • 【タイプ1】このタイプの人は、試合結果を知らされていても知らされていなくても録画されたビデオ全体を楽しむことができるはずだ。
  • 【タイプ2】このタイプの人は、ビデオを早送りして、シュートの場面だけを楽しむだろう。
  • 【タイプ3】このタイプの人は、試合結果が事前に知らされていれば、わざわざビデオを視ない。せいぜい、自国代表がシュートを決めた瞬間と、勝利が確定した瞬間だけを楽しむだろう。
  • 【タイプ4】このタイプの人は、周りに楽しむ人がいなければ他の番組を視るにちがいない。
 これは、プロ野球や大相撲についても言える。このうち、大相撲の場合たいがいのファンは、勝敗よりも相撲内容に関心を寄せる。それゆえ、たとえひいきの力士であっても、立ち会い直後のはたき込みで勝った場合にはあまり喜ばない。また、大相撲ダイジェストのような番組は、事前に勝敗結果が知らされていても充分に楽しめるものである。数十秒、長くても数分で勝負が決まるということもあるのだろうが、大相撲は明らかに、闘いプロセスと結果をセットにして楽しむスポーツと言えるように思う。サッカーの場合はどうだろうか?
【思ったこと】
_20612(水)[教育]「日本を良くするために教育が果たす役割」と演者の魅力(前編)

 岡山の若手経済人(40歳〜60歳)の団体が主催した教育講演会に、岡大の教育開発関係者の一人として出席した。この日の講師は、テレビ、保守系の新聞・雑誌、某与党機関誌などで、教育・社会・政治等の幅広い分野にわたって論陣を張っておられるK女史であった。不特定多数に開かれた講演会ではなかったので、ここでは実名は伏せてさせていただくが、このWeb日記を読んでおられる方なら、ああ、あの方か、とすぐに分かる超有名人である。

 1998年12月13日の日記にも記したように、1時間半程度の講演を通じて聴衆に伝えられる内容にはもともと限界がある。限られた時間の中で自分の主張のすべてを展開しても何も納得してもらえない恐れがある。根拠を示さないと納得してもらえないような新しいことを主張する場合はなおさらそうだ。そこで、一般的な技法としては、
  • 「10」のうち「9」ぐらいは誰でも納得できる当たり前のことを言って、残りの「1」でいかに自分の主張を相手に伝える。
  • 尊敬されている人物の記述や格言を引用して、「私の主張はそれと同じだ」という形で権威づけする。
  • びっくりするようなデータをパワーポイントで直観的に理解できるように示し、自分の主張が根拠に基づくものであると主張する
といったものが考えられるが、今回のK女史の場合は、ちょっと違っていた。特に古典からの引用があるわけでもない。スライドや紙資料は一切無いので、データに基づいて主張するわけでもない。それにも関わらず、聴衆をひきつける力があったのは、おそらく
  • 「私はこう生きてきた、これは正しい道であった」という強い自信と迫力
  • 他者にはマネをできないような独特のリズムに乗った流暢な語り口
によるものではないかと感じた。

 もっとも、「我が道に対する自信」といっても、独善ということではない。K女史は、講演の初めのほうで
  • 私は、あくまで、自分が経験したことに基づいて話をする
  • 同じ時間帯に2つの道を歩くことはできない。自分が歩いていない道についての体験を知るということが本を読むということだ。
  • 自分の歩いてきた道が誤りであると気づけば仕切直し
と、読書や自己点検の大切さについても語っておられた[←あくまで長谷川が聞き取って、長谷川の言葉に置き換えた上での表現。以下同様]。

 講演では、「教育の原点は、他人を見る目、判断する力を養うこと」、「人に夢と希望をもたらすこと」、「人のために良かれと思うことを実践」、「父親や教師に対する敬意の大切さ」、「私語の多い授業などあるが、教育の秩序を守るのは教師の責任」、「問題教員が担任になったら、子どもにはその先生の悪口ではなく“あなたたちの先生を助けなさい”と言おう」といった内容が語られた。終了後の質疑では、例によって私も発言。時間が無いので、このあたりの内容は、明日以降の続編で。