じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 岡大・事務局前のユッカの花。現在、新築工事が進められており、新旧両方の建物が見られるのは今回限り。





6月16日(日)

【思ったこと】
_20616(日)[心理]「リハビリテーションのための行動科学研究会」(前編)

 6月16日(日)の10時から17時まで、リハビリテーションのための行動科学研究会が広島県立保健福祉大学(広島県・三原市)で開催された。理学療法士、作業療法士、看護師、介護施設関係者など約120名が参加。第1回目のこの日は、三原市で附属幼稚園・小学校・中学校の校長を併任されたこともあるという広島大名誉教授の河合伊六先生、日本行動療法学会の常任理事を務められている関西学院大学・社会学部教授の芝野松次郎先生、それと、長谷川が基調講演を行い、さらに、筑波技術短期大学の小林和彦先生や広島保健福祉大学の岡崎大資先生が、理学療法の立場から具体的事例を紹介しシンポジウムを行った。かつて長崎の医療短大に籍を置かせてもらったことのある私としても、リハビリテーション関係者と行動科学研究者が一同に介して保健医療向上のために語り合うことは長年の願いであった。今回、保健福祉大のスタッフのご尽力によりこのような常設研究会が立ち上げられたことに深く感謝したい。

 午前中は、まず、河合先生から「高齢者ケアに対する行動分析学の歴史と展望」という講演が行われた。河合先生は、高齢者に対する行動分析的アプローチが遅れていた理由として、
  1. 「老化は防止できない」という諦めの気持ちがあったこと
  2. 高齢者では顕著な改善が生じにくい。本当は、ごくわずかの改善が重要な意義をもつのだが...
  3. せっかく改善の見込みが得られても、健康上の理由で中断せざるをえないことがある
  4. 問題行動の原因を加齢、意欲、能力などの衰えに帰属させる傾向があった
などを挙げられた[いずれも長谷川の言葉による要約]。しかし、1980年以降、行動論的アプローチが活発となり、高齢者とを対象とした改善技法の有効性が確認されるようになった。講演の後半では、三項随伴性についての説明と、実践事例(うつ、痴呆、生活習慣、食事行動)が紹介された。




 2番目の芝野松次郎先生は、ミシガン大学大学院でMaster of Social Work、シカゴ大学大学院でPh.D.を取得された豊富な在外経験に基づき、Bear & Pinkston の『Environment and Behavior』、Goldiamondのダイアグラム、Lindsleyのprosthetic(補綴) environmentの概念が紹介された。

 ところで、これまでこのWeb日記などで紹介してきた「行動随伴性」概念は「直前→行動→直後」というダイアグラムで行動が環境に及ぼす影響を考えるが、河合先生や芝野先生は、先行要因(弁別刺激等)を重視した「三項随伴性」の概念を前面に出して、諸行動の生起を説明された。この違いについては、明日以降の続編で詳しく考察することにしたい。

 Goldiamondのダイアグラムの興味深い点は、「行動→結果」をセットとして、それがさまざまなoccasionに対応してhierarchy(階層)を構成するという考え方である。ひとくちに行動の強化とか弱化とか言っても、行動は場所や文脈を選ばすに好き勝手に生起するものではない。よく起こる行動と滅多に起こらない行動を階層的の捉える上で有用なツールになりうる発想だ。なお、こうした階層は、abstractionkonコントロールと、instructionコントロールを受ける。前者は直接体験に基づくもので、時間は要するが忘れにくいという特徴がある。いっぽう後者は、ルール支配行動のようなものであろう。

 Lindsleyの「補綴的弁別刺激」という概念も興味深い。これによって、問題行動自体を弱化するというよりも、問題行動より望ましい行動の出現順位を上げるようなコントロールが可能となる。

 芝野先生が紹介された生活環境マネジメント(デザイン)行動というのは、先行事象の管理、つまり、「自分の行動に自分で結果を与える」というより「適切な行動が起こりやすい環境を自ら用意する」に重点が置かれているようだ。




 昼食後に行われた長谷川の講演では、行動分析は従来、具体的な行動の変容・維持のための技法、つまり
  • 望ましい行動を増やす
  • 望ましい行動を持続させる
  • 新たな行動リパートリーの形成
  • 望ましくない行動を減らす
などが得意とされてきたが、これに加えて、
  • どのような行動随伴性が生きがいにつながるのか、調べる。
  • 個々の行動の変容ばかりでなく、個人が自発するすべての行動のバランスを考える。
  • 「能動」をサポートする環境を作る。
といった、夢を与える「能動」分析につなげる展望のあることが論じられた。理学・作業療法の目的として「回復」がうたわれているが、
  • 回復をはかったあとどうするのか?
  • 回復したあとのことは別人に任せるのか?
  • 何のために回復するのか?
  • 回復するまでは辛くても耐え抜くべきなのか?
  • 回復が見込めない場合はどうするのか?
といった問題を合わせて考えていく必要がある。特に高齢者の場合は、回復を究極目的にしても達成されないことがあるし、単に足腰を鍛えても、能動的に活用できる機会が保障されなければ意味がない。このことに関して、スキナーが説いた人類最大の権利:「強化を受ける権利」、また、生きがいとは、好子(コウシ、=「正の強化子」)を手にしていることではなく、それが結果としてもたらされたがゆえに行動することであるという視点をツールにして福祉のあり方を考えていくことの有用性が強調された。

 後半ではさらに、そのツールの活用のしかたや、セラピーの2つの役割についても論じられた。大切なことは、「能動」が適切に強化されることにある。この視点に立てば、スポーツ選手が怪我で体を動かせなくなっても、研究者が痴呆により知的活動に従事できなくなっても、それまで続けていた活動に代わる能動がある限りは決して不幸になることはない。哲学の道を究めることは尊敬に値するが哲学を全く知らないゆえに不幸になるわけでもない、また、痴呆が進行して近親者の見分けがつかなくなったとしても、そこで展開される新たな能動があれば、その人は充分に幸せでいられるということだ。




 さて、今回の3者の講演で、行動の先行要因を重視する河合・芝野両先生の「三項随伴性」概念と、長谷川が強調した結果の質や随伴のしかた(強化スケジュールなど)を重視する「行動随伴性」概念が、異質のものなのか、矛盾するものなのか、疑問をもたれた方々もおられたのではないかと思う。私は、これは、ツールを求める際の要請(ニーズ)の違いではないかと思う。話が長くなるので、続きは次回以降に。