じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
アパート階段横の桔梗。例によって2種類のデジカメで比較してみた。 |
【ちょっと思ったこと】
NGOの募金活動などと言うが..... 夕食後にいつものように夫婦で散歩に出ようとしたら、若い女性が「東京に本部のあるNGOから来ました」と募金を求めてきた。胸には写真入りの身分証明書をつけており、目がうつろで尋常ではない。「し○ぜん」という団体で、ボランティア活動をしているのだという。どこに泊まっているのだと聞くと、友達の家で、仕事を休んで観光がてら岡山に来たという。 そういえば数年前にも、同じ身分証明書をぶら下げた若者が研究室にやってきたことがあった。受け答えも一緒だった。某宗教団体の名前を挙げて問い正したが、違います、NGOですといって認めようとしなかった。 後で、ネットで検索したところ、下記のようなサイトがヒット。それにしても、同じ団体名、同じやり口とは進歩が無いなあ。 ※上記のリンクはGoogleの検索結果から機械的にリンクしただけであり、それぞれのサイトを運営する個人・団体がどのようなものであるのか、長谷川は一切関知していません。念のため。 |
【思ったこと】 _20709(火)[心理]英語教育と日本語文法を疑う(2)学習ツールであればこその文法 昨日の日記の続き。今回は ●『日本語に主語はいらない〜百年の誤謬を正す』(金谷武洋、講談社選書メチエ、2002年) を読んで感銘を受けた点を少々。 この本は、今年の春、生協ブックストアで平積みになっているのをたまたま見かけて購入したものであった。ちょうど文学部の同僚が店内に居たので、「金谷さんってご存じですか」と尋ねたが誰一人知らない。妙なことだと思っていたが、前書きを読んで謎が解けた。なんと、カナダのモントリオール大学・東アジア研究所の教員であり、実際にカナダ人に日本語を教えておられる実践家だったのである。 外国人に日本語を教えるには、そのツールとして活かせる日本語文法が必要である。ところが、日本でずっと教えられてきた学校文法は、ちっとも役に立たない。助詞の「は」と「が」の区別を教えられない、「あなた英語」を解消できない、などさまざまな問題が持ち上がってきたのであった。 それを改善すべく金谷氏が辿り着いたのは
金谷氏が第4章の中の「生成文法的アプローチの問題」のなかで強調された点をいくつか抜き書きしておこう。 金谷氏は、上記引用の最後のところでマルチネ[フランスの言語学者、アンドレ・マルチネ。1984年にICUでこの教授のセミナーがあり金谷氏も参加]の優越性を論じておられるが、上記引用に関する限りでは、行動分析学の創始者のスキナーもきわめて近いことを言っている点を付け加えさせていただく。 上記引用の中で「深層に潜ったとたんに「何でもあり」になってしまう」というのは、心理学の諸理論についても当てはまることだ。「検証不可能性」批判も全く同様だ。だからこそ、私は、日常生活や生きがいに役立つツールとしての「能動主義の心理学」を目ざしているのである。 余談だが、この本の初稿のタイトルは『日本語・この不幸なことば』、その後も三上氏に敬意を表して『やはり日本語に主語はいらない』というタイトルを考えておられたなどと序章に書かれてある。そんなこともあって、この本を読み始めた際、金谷氏はきっと三上章氏のような、顎がこけてメガネをつけた60歳〜70歳くらいの苦学者のお顔をしているのではないかと勝手に想像してしまった。しかし、カナダ人と結婚されたお話、出身大学の同学年の方に、故・大塚恵・お茶の水大学助教授がおられたという謝辞の記述からみて、じつは私とほとんど同じお年であることが判明した。ネットで検索してみたところ、CAJLE staff profileというサイトの中に、お写真を発見。カナダ人女性にプロポーズした方だけあって、さすがハンサムなお顔をしておられる。 |