じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 赤い蕎麦の花と銀杏。銀杏の黄葉が進み、カラフルな風景が展開するようになった。





11月2日(土)

【ちょっと思ったこと】

平日と変わらない休日だが、平年とは違う寒さ

 土、日、月の3連休とはいえ、平日と変わらない生活を続けている。11月8日までに来年度授業のシラバスを作成しなければならないことに加え、来週末と再来週末にはそれぞれ1泊2日の出張の予定があり、2週間先の授業まで準備をしておかなければならないからだ。

 それにしても、等圧線だけ見るとまるっきり冬型の気圧配置である。例年、この時期の岡山の最低気温は10度台前半、最高気温は19度台前半なのだが、2日の朝は7.5度、最高は14.6度。富山や金沢では最高気温が10度を下回ったという。

 2日の朝からとうとうストーブを使い始めた。ウツボカズラ、トラノオ、ホヤ、セローム、バナナなどの観葉植物を室内に取り込む。年を取り、夏の暑さよりも冬の寒さのほうが応えるようになってきた。




建築業の倒産

 各種ローカルニュースによると、総合建設業のM社は1日、東京地裁に民事再生法適用を申し立て、保全命令を受けた。負債総額は約90億円。M社は1915年創業という老舗であり、岡山県内では業界5位の規模を誇るという。

 岡山県内では、同じ建築業のA社やI社がここ数年以内に倒産している。公共工事の縮小、大型工事減少など、建築会社にとっては厳しい時期を迎えているに違いない。新築住宅のセット販売のチラシをよく見かけるが、工事の途中で倒産してしまった場合などどうするのだろうか。手抜き工事やミスが見つかった時には困るだろうなあ。
【思ったこと】
_21102(土)[心理]地域通貨その後(2)ボランティア通貨とは何か

 10/31の日記の続き。前回、リストに挙げた柄谷氏の『日本精神分析』(文藝春秋、2002年、ISBN 4-16-358430-7)には、加藤敏春氏提唱のエコマネーに対する批判がいろいろと書かれている。今回はそのうちの「ボランティア経済」について考えてみたい。194頁〜199頁のあたりから柄谷氏の論点を整理してみると(長谷川による要約)
  • 加藤氏は、“ボランティア経済”の分野と“貨幣経済”の分野とは、はっきりと分けるべきであると主張している。......これは、地域通貨が国家をおびやかすものであってはならないということ。
  • 循環型杜会システムや共同体の倫理の回復などは、資本制=ネーション=ステートが存続するかぎり実現できない。しかるにエコマネーはそれを存続させるためにこそ、必要とされている。
  • アダム・スミスは、各人が自己の利益を追求することがかえって全体の利益になるのだと主張したが、彼が「同情」sympathyを強調したことはさほど知られていない。.....このような「道徳感情」は、中世の身分杜会における慈悲というようなものとは違う。資本制経済以前には、慈悲はあっても、ボランティアは存在しない。
  • 猛烈に金儲けをすることはいやらしくて、ボランティアは美しい、と思わない。
  • ボランティアをする者はすがすがしい気分でいられますが、されたほうは負い目を感じさせられる。
  • ボランティアの人はあまり当てにならない。善意はあっても、仕事が下手であったり、都合で休んだりする。金を払っていれば、あるいは、契約があれば、叱ったり履行を強制することができますが、ボランティアの人に対してはそうできない。
となる。

 柄谷氏の御主張自体については私自身まだ御研究の全体像が理解できていないのでコメントを差し控えさせていただくが、ボランティア活動というものをどう位置づけるかは重要なカギとなりそうだ。私自身は、たとえお金で雇われずボランティアとして活動する場合でも、活動対象や活動仲間に対して、かなりの責任や義務が発生すると考えている。むしろ、お金をもらって働くことのほうが、給料相応の働きだけすればよい、という点で責任が軽いように見える。




 それはそれとして、柄谷氏のご批判の中には、加藤氏の提言について多少の誤解があるように思われる。なぜならば、加藤氏は、ボランティア経済を究極の目標には置いていないからだ。
【エコマネーの】究極のねらいは、利子の付かない「互酬」の通貨としてのエコマネーを登場させて、「信頼」の回復によりコミュニティを再生するとともに、「一定の条件」が整ったときに、その適用範囲をボランティア経済から貨幣経済にまで拡大して、各地域で真の意味での「持続可能な社会」を構築することである。
(『エコマネーはマネーを駆逐する〜環境に優しい「エコマネー資本主義」』、268頁)


 では、なぜ、現時点では、エコマネーの対象をボランティア経済に限定する必要があるのだろうか。その理由として加藤氏は(長谷川による要約)
  • マネーの威力がいまだ強力であり、生活者自身がマネーのマインドでエコマネーを取引して、エコマネーがマネー化することを何よりも警戒しなければならない。[292頁]
  • 「紙幣類似証券取締法」など)や税制との関係。[292頁]
  • ボランティア経済にしっかりと定着し、「一定の条件」が整備された後に(変容した)貨幣経済にも拡大したとき、「下から」の信頼による金融システムの再構築・多様な「差異」による資本主義の再駆動と、無利子による取引による「持続可能な社会」の構築という二つの要請を同時に達成することができる。[298頁]。
  • 地域通貨がマネーに切り替わるようになると人間は思考を停止し、それ以上自分が何ができるか、他の人から何をしてほしいかということについて考えなくなる可能性が高い...[なぜマネーとの接点には慎重性が必要か
などを挙げている。もっともより根本的には、お金の起源をめぐる「対外貨幣(Aussengeld)」と「対内貨幣(Binnengeld)」の対立がある。「共同体間で発生した商品交換が共同体の内部にも浸透して、従来の共同体的関係を解体する」という意味であるが、これを指摘したのは、なっなんと、かの力ール・マルクス(『経済学批判』)だということだ。




 柄谷氏の志向する市民通貨Qは、本質的に「資本制=ネーション=ステート」に対抗するものとして方向づけられているようだ。加藤氏は、オルターナティブQについては
LETS(原始共産主義とでも形容すべきもの)と資本主義の中間のようなシステムを模索して いる。この点では「エコマネー資本主義」を提唱している私の考えと方向は同じ。私のアプローチ は、あくまでリアルにこだわり(インターネットを活用しつつも)、地域での協働やリアルな社会 での制度変革、21世紀型社会の創造まで目指そうとするもの(エコクーポンについては、「紙幣類 似証券取締法」などとの法律問題はクリアーしてある)。
として、共通点を述べる一方、エコマネーを中心とした「リアル」さを強調しておられる[第一回地域通貨国際会議についての加藤氏の総括]。

 実際、加藤氏の「エコマネーの位置づけと資本主義の関係」についての最近の図式には、コミユニティ・ビジネスが堂々と組み入れられているし、「エコマネーとコミュニティ・ビジネスは車の両輪」[エコマネーと地域通貨〜正確なエコマネーの理解を!〜(6)]という声明まである。このほか、ボランティアポイント、エコポイント、エコクーポンなどとの組み合わせも強調しておられるようだ。

 ま、どっちにしても、地域通貨は多様性が売り物である。原則論をたたかわせるばかりでは発展しない。地域の実情、ニーズに合わせて、いろいろな方法を組み合わせて実施することが大切。最終的な妥当性は、実践の成果に基づいてなされるべきであろう。