じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] [今日の写真] 【8月9日】徳格〜セルシュ
竹慶寺(ゾクチェン・ゴンパ、ニンマ派、標高3900m)。最初に訪れたお堂は、床板がはがれ、雨漏りがしていた。もっともそのすぐ横では、鉄筋コンクリートの本堂を新築中。ここに限らず、訪れたゴンパはどこも裕福。地元ばかりでなく海外からも寄進があると聞いた。





11月3日(日)

【ちょっと思ったこと】

神から人間になると...

 昼食時にNHKアジア人間街道を視た。今回の話題は「神様だった女・ネパール・カトマンズ」。ネパールでは、クマリと呼ばれる「生き神」への信仰がある。途中からしか視られなかったが、「生き神」をつとめあげた少女の一人が、小学校で教育を受け直し、飛び級のすえ、情報関係の大学に入学したという内容であった。

 こちらに あるように、クマリは、ネワール仏教徒で、いくつかの条件をクリアした初潮前の少女達の中から選ばれる。そして、何らかの怪我で血を流したり初潮を迎えると、次のクマリと交代する。

 クマリに選ばれることは、本人のみならず一家にとっても大変光栄なことであるが、その期間は、自由が拘束され、十分な教育を受けることさえできない。また、同じ年代の友達と遊ぶこともできないので、社会的なスキルが身に付かない。しかも、交代した後ではこれといった特典も保障もなく、ごく普通の女性として家族と一緒に生活しなければならない。その復帰のためには、教育面でも社会性の面でも相当な苦労を強いられることになる。なかには復帰ができない女性もいるらしい。

 番組には、もう一人、最近クマリを「引退」した女性が登場していた。家族と一緒になっても、ほとんど無表情。「何かやりたいことはないか」と聞かれても何もないという。もともと、趣味とか仕事への興味といったものは、子供の時からの多様な体験に基づいて形成されるものである。それらから隔離された環境では、何も無いのが当然であろう。

 少し前、新潟で、9歳の少女が9年間にわたり監禁されていたというショッキングなニュースが伝えられた。そのケースでは、少女は容疑者に絶対的服従を強いられていた。上記のクマリの場合は、服従ではなく、神としてあがめられる点が本質的に違っている。とはいえ、一般社会から隔離され、十分な教育を受けられず、多様な体験の機会がなく、また、引退後に制度的なの保障が無いという点を考えると、西洋的な感覚ではやはり人権侵害、幼児虐待の疑いをかけられそうな気もしてくる。このあたりどうなっているのだろうか。

【思ったこと】
_21103(日)[心理]地域通貨その後(3)エコマネーは、モノと交換できないか(1)

 昨日の日記の続き。昨日も紹介したが、10月25日付で、エコマネーの提唱者の加藤敏春氏は、エコマネーと地域通貨〜正確なエコマネーの理解を!〜というアピールを発表された。「拡大するエコマネーと“誤解”の発生」の1つとして、
「エコマネーの取引はサービスのみであり、モノが入るとエコマネーとは異なる地域通貨となる」という主張は“誤解”であることがご理解いただけると思います。エコマネーではモノは排除していません。サービスかモノかが問題なのではなく、対象となる取引の性格が交換なのか互酬なのかかが問題なのです。したがって、市場での交換価値の付いていないモノ(近くの農地で取れた農産物を住民同士が取引するような場合)をエコマネーで取引することはありうることなのです。
という点を指摘された。要するに、「単純にモノはすべてダメ」ではなく、「取引の対象が交換なのか互酬なのかか」が本質的な基準ということのようだ。

 「モノが対象となるか」については、私自身は、こちらの論考
  • エコマネーのようにサービスを主体とした交流では、モノとの交換は原則としてできない。なぜなら、マネーは、物と交換した瞬間に交流を終結させるからである。
  • 【補注15】但し、モノであっても、サービスの結果として完成されたモノであれば交換の対象になるはずだ。例えば、小学生がおじいさん、おばあさんのために絵を描く(←結果として作品を贈る)、屋根瓦の補修をする(←結果として屋根ができる)、空き地に花壇を作る(←結果として花壇ができる)、などは結果としてはモノとの交換になっても、サービスが含まれているので、交流の終結には至らないと思われる。
と述べたことがある。「サービスの結果として完成されたモノ」という概念は、加藤氏の言う「互酬の対象としてのモノ」とほぼ同義であるように思う。

 もっとも、「近くの農地で取れた農産物を住民同士が取引するような場合」がこれに当てはまるかどうかは、多少疑問が残る。この種の取引はむしろ、コミュニティビジネスの中でシステム化することのほうがよいのではないかと思われる。

 このほか、不要となった家具は取引の対象になるのかという問題がある。家具のリユースは環境には優しい取り組みであるが、ある程度は交換の対象になっている。それから、「マネーは、物と交換した瞬間に交流を終結させる」という視点はやはり大切だと思う。次回以降でさらに詳しく検討してみたい。