じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 農学部正面への楷の木。11月8日早朝。





11月8日(金)

【ちょっと思ったこと】

広島大学初訪問

 ↓の研究集会参加のため、初めて広島大(東広島キャンパス)へ。移転後に訪れたのはこれが初めてである。

 岡山と広島は隣り合う県ではあるが、移転後の広島大というのは結構交通が不便な所にある。
  • 常識的には、こだま号で東広島駅に行きバスに乗るのが一番速いと思ったのだが、昼頃に到着するとバスの便がない。土曜日になると全く無いというから全く役に立たない。
  • 最短時間は、どうやら、ひかり号かのぞみ号で広島駅まで行き、そこから在来線で西条まで戻るルートのようである。これなら1時間半程度で済むが運賃が3280円、特急料金が2410円と割高になる。
  • 岡山から三原駅まで、こだま号。そこから在来線という手もあるが、連絡が悪い。
  • 山陽自動車道利用。運転中は何も仕事ができないし、くたびれる。まして、冬型ではスリップ事故が怖い。
ということで、けっきょく9時半頃に岡山を出て(最短なら9時43分発でよい)、途中三原で乗り換え、11時57分に西条着というルートを選んだ。2時間以上かかるものの、運賃はたったの2210円であった。また座席がガラ空きで、英語講読授業の採点を完了することができた。何かまとまった仕事を仕上げるには各駅停車利用のほうがよいかもしれない。

 西条駅で降りてから食堂を探したが、居酒屋ばっかりでなかなか見つからない。ぶらぶら歩いているうちに「フジグラン」とかいう大型スーパーがあり、ダイソーで買い物したあと、隣の軽食店でラーメン、ソフトクリーム、ホットドリンクバー(コーヒー飲み放題)など。

 宿舎は大学北門にある国民年金健康保養センター。最上階には展望露天風呂(朝風呂も可能)などあって、のんびり過ごせた。広大出張には最適だと思うが、学会の時などはきっとすぐ満員になってしまうのだろう、




ハンセン病文学全集

 11/9朝6時台のNHKニュースで、ハンセン病元患者たちの作品が文学全集として刊行中であることが紹介された。少し前、この問題をテーマにした修論を読む機会があり、いろいろ学ぶことが多かった。強制入所後は療養所内の患者と結婚することもあり、また宗教活動に参加する者もいる。失明によって人生観が大きく変わることもある。

 今回の番組でも紹介されていたが、療養所内で最もひどい人権侵害は、「秩序を乱した」などの理由で収容される重監房であった。文学全集の中でもこの問題が正面から取り上げられているということだ。

【思ったこと】
_21108(金)[教育]戦後教育の終焉と日本型高等教育のゆくえ(1)

 広島大学高等教育研究開発センター創立30周年記念の研究集会「戦後教育の終焉と日本型高等教育のゆくえ」に、岡大のFD委員長として出席した。

 今回の研究集会の名称にもある通り、このセンターは今から30年前、ちょうど私が2回生の頃に設立された。岡大にも教育開発センターがあるが、現時点ではまだ専任ポストさえない。こちらは専任が12名というから大変なもんだ。懇親会の席上で伺ったところによれば、一時期は「研究センターは広大に貢献していない」「もはやその役割は終えた。今後は実践センターに」という声もあったというが、現学長の強い支持もあって「研究」を守り抜く。そして、今回、21世紀COEプログラムに採択という栄誉に輝いた。

 1日目は、牟田泰三・広島大学長の挨拶に続いて、ドイツのKassel総合大学のTeichler(タイヒラー)先生による「Higher Education Reforms in Comparative Perspective」と、国立学校財務センターの天野郁夫先生による「日本型高等教育のゆくえ」という基調講演が行われた。

 タイヒラー先生の講演は、ドイツ語訛りの英語で行われた。通訳はつかなかったが、英文と和文の草稿があり、内容はだいたい理解できた。もっとも、原稿の棒読みに近かったので少々眠くなった。要点を記せば、
  • 高等教育過去30年の比較研究(日本、ヨーロッパ、アメリカ化)
  • 高等教育研究の状況と機能
  • 知識社会の拡大と再構築
  • ガバナンスと運営の変化
  • 国際化とグローバル化
といった内容になるかと思う。このうち評価に関係して「The more we like to measure the process and outcomes of higher education, the more the danger grows that too much energy is absorbed for the assessment of system and time is reduced for productive work. 高等教育の過程と成果を測ろうとすればするほど、評価にばかり時間をとられて生産的活動にさく時間がなくなるという危険が増えている」というのはもっともだと思った。この日記でも書いたことがあるが、これは、人間で言えば、仕事をしないで人間ドックばかりに通っているような状態ということになる。




 次の天野先生の講演は、非常に分かりやすく面白い内容だった。その基本的な論点は
  • 大学改革においては、未来のデザインばかりでなく、いまのデザイン、つまり伝統的な秩序をくずす際のグランドデザインが無いという問題点。
  • 大学改革論議ではいつも「アメリカがひきあいに出される」。いわば「アメリカではの神」の登場のようなもの
  • アメリカ化の大学改革のように見えて、じつは全く違う方向に進んでいる
  • アカデミックプロフェッションの重要性
といったことになるかと思う。

 このうち、アメリカ化のように見えた改革の問題点として
  1. 学部教育の問題:教養部は廃止したが、アメリカ型のカレッジ教育を行う新しいタイプの学芸大学は登場せず、専門職業教育重視、教養無関心という学生を生んだ。また、専門学部制が自由化され、いっけん学際的、あるいは奇妙な名称の学部が登場したが、実際は従来の専門科目の組み合わせにすぎない。また、アメリカと異なる大学院システムにより、実質、修士課程を入れて6年間の専門教育が行われる分野もある。
  2. 評価制度の問題:大学基準協会が未発達。これは文部科学省が、大学設置基準を使って大学政策を取り仕切ってきたことにも一因。つまり、設置基準による認可(=事前規制)さえ受ければ、accreditation(=事後チェック)のメリットは無くなるわけだ。
  3. 専門職大学院の問題。
などが挙げられた。

 フロアからの意見として、
  • 日本型とアメリカ型の違いの1つは「Boys be ambitious!」の「ambitious」が日本語では大志となるがアメリカでは「野心」という意味になるようなもの
  • 初等中等教育に関してはアメリカは失敗している
  • 日本の結果平等主義に対して、アメリカはチャンス平等主義である点などが指摘された。
  • 「認証」と「評価」という別物の行為を一体化した「認証評価」なるものが法制化されようとしていることによって、画一化が求められるのではないかといった危惧
などが出された。

 私自身が多少疑問に思ったのは、「少子化」問題が殆ど取り上げられていなかった点である。確かに日本には改革のグランドデザインは無いが、少子化により入学者が減ることにどう対応すべきかという点では、共通した危機意識があると思う。そもそも理想的なグランドデザインがあったところで、それだけでは大学人は動かない。「アメリカではの神」の「信仰」も、少子化の危機意識が煽られるからこそ「信者」を増やしていったのである。そういう意味では、「多様な改革」と「少子化、定員割れ」による淘汰に委ねれば、「認証評価」のようなプロセスに時間をかけなくても、結果的に「残るべきものが残る」ことになるのではないかと思う。このあたりは、企業の生き残りと同じ論理だ。但し、基礎的研究をどう守るかについては別の施策が必要であろう。2日目のディスカッションはどのように展開されるだろうか。