じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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サーバーの容量事情により、写真ファイルはこちらに移しました。 タスマニアで見た動物の第四弾はワライカワセミ。この鳥は動物園内を自由に飛び回っていた。近くの檻には別のワライカワセミが複数飼われており、初めて「ケタケタケタ...」というような「笑い声」を聞くことができた。


1月15日(水)

【ちょっと思ったこと】

あっという間に15日

 1月もあっというまに15日が過ぎてしまった。1月は飛ぶように過ぎていく。これで1年の24分の1、私の推定余命30年(=80歳まで生きるだろうという意味)としてその720分の1が過ぎてしまったかと思うとゾッとする。

 1月〜2月は、卒論指導と査読、各種授業の成績評価、各種入試、年度末行事などがあり、大学教員にとっては最も忙しい時期にあたる。早く3月にならないかななどと思う一方、1〜2月の2カ月が過ぎるということは1年の6分の1、私の推定余命30年のうちの1%弱が失われていくと思うと空しさを感じるこのごろである。




北朝鮮は米国にとって必要?

 拉致事件といい最近のNPT脱退問題といい、北朝鮮という国家がこのままの形で存続することは東アジアの安定にとって何の利益ももたらさないように思われる。この際の最善の策は、ドイツ統一が成功したのと同じような方式で、北朝鮮が韓国に吸収される形で平和的な統一をはかることだろう。

 しかし、ここで視点を変えて、北朝鮮の消滅が米国や日本に利益をもたらすかどうかを考えてみると少々疑問に思うところがある。

 もともと、韓国には根強い反米感情がある。じっさい米国・世論調査機関「ピューリサーチセンター」が2002年秋に44カ国3万8000人を対象に行った調査[1/15の朝日新聞記事]によれば、米国が「好き」と答えた割合は、日本人の72%(前回1999〜2000年調査では77%)に対して韓国人は53%(前回は58%)であり、かろうじて過半数を保っているにすぎない。将来的には半数を割ることも十分に考えられる。

 韓国と日本の間も必ずしも平穏ではない。不幸なことだが、過去の植民地支配がもたらした反日感情はいまだに根強い。竹島のような領有問題、日本海呼称問題、漁業権問題など、隣国の宿命と言えばそれまでだが、さまざまな衝突の火種が潜んでいる。

 にも関わらず、日・米・韓が緊密な連携を保たなければならないのは、何と言っても北朝鮮が脅威を与えているからに他ならない。東西冷戦が解消し中国の経済体制が実質的に資本主義化した今、3国の協調のために最も必要なのは、共通の「敵」としての北朝鮮であるかもしれない。

 実際のところ、イラクに親米政権ができれば、米国は、テロの脅威を軽減することに加えて、石油利権を思いのままできるというメリットがある。いっぽう、資源の乏しい北朝鮮が親米国家になったところで、米国には何のメリットもない。逆に、東アジアへの影響力を失うというデメリットのほうが大きいかもしれない。

 対イラクに強硬姿勢を示す米国がなぜ北朝鮮に対して同じ姿勢をとらないのか常々疑問に思っていたが、上記のような思惑があるとするなら納得できないわけでもない。ちなみに、日本にとっても、北朝鮮の脅威がゼロになることがどういう結果をもたらすかは定かではない。根強い反日感情を利用して、ロシア・中国・韓国が共通の敵として日本をターゲットにしてくることも皆無とは言えない。かつてあれだけ戦争を繰り返してきた欧州がさまざまな軋轢を含みながらもEUとして発展しているのに対して、東アジアの国々はなぜ潜在的な対立を解消できないのだろうか。難しい問題だ。

【思ったこと】
_30115(水)[心理]行動随伴性ダイアグラム再考(5)随伴性は、なぜそれが面白いのかを解明できるか

 連載の5回目。今回は、この連載の宿題の1つでもある「随伴性は、なぜそれが面白いのかを解明できるか」について考えてみたい。結論から先に言えば、
「面白い」原因を100%解明することは不可能ではあるが、行動随伴性に基づく分析することによって、「面白い」ことの必要条件として何があるか、どうすればもっと面白くできるのかについて、有用な情報を提供することはできる。
ということになるかと思う。

 これは、「なぜ美味しいのか」という心理学の別のテーマとも共通している。食心理学では、美味しさの必要条件をある程度解明できるし、美味しさを比較する方法も種々検討されているが、「美味しさ」の十分条件まで提供することはできない。早い話、もしそんなことが分かったら、料理人の苦労は要らない。

 同じことは、「なぜ美しいのか」、「なぜ可笑しいのか」についても言えるだろう。そのための十分条件が解明されてしまったら、芸術家や落語家やコメディアンの苦労はいらない。

 ところでいま、「十分条件」という言葉を使ってみたが、普通、これは、比較的普遍的で安定的な要因を組み合わせて用意するという意味で使われる。しかし、上記で美味しさの十分条件が解明できないというのは、科学的に限界があると言っているわけではない。その成立には、文脈や個体独自の要因や同定困難能な多数の要因が同時に関与しており、人工的にすべてを揃えることは困難であろうというのが正しい使い方ではないかと思う。




 以上のような限界はあるにせよ、「ある行動が面白い」ための必要条件はかなりの程度まで明らかにできると思う。
  • まず、義務的な随伴性(=阻止の随伴性、あるいは嫌子消失をもたらす逃避随伴性)ではなく、「それをしなくても何ら不自由ではない」という任意性(=好子出現の随伴性)が必要条件になるはずだ。
  • 結果の随伴については、毎回あるいは規則的に結果が伴うよりは、ランダムに伴うほうが「面白さ」が増すだろう。努力の量に応じて結果が伴うことが基本だが、いま述べたように、時には意外性も必要。
  • 一定頻度以上で、確実な大きさの結果が伴うことも必要。
  • 累積的な成果について付加的な強化があることも必要。
これらの必要条件は、通常、スポーツのルールや、各種ゲームの中で経験的に活かされている。例えば、野球では、適度の意外性(例えばホームラン)があり、適度に得点され、かつ、優勝戦や各種公式記録が取り入れられている。




 「面白い」に似た言語表現には「楽しい」や「嬉しい」があるが、これらは、本質的な違いではない。「能動的な行動の関与の度合い」、「直後の感想か、ある一定期間についての評価なのか」、「行動のバリエーションがどの程度あるか」、「社会的なインタラクションがどの程度あるか」によって、発せられる文脈が異なるだけではないかと思っている。次回に続く。