じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[写真] 成田〜福岡便(1/6搭乗)の機上からの景色の続き。今回は、江ノ島、三浦半島、房総半島方面。


2月11日(火)

【ちょっと思ったこと】

「国語」か「日本語」か

 2/12の朝日新聞記事によれば、国語学会(会員約2500人)が学会の名称を「日本語学会」に改称するかどうかをめぐって全員投票を実施、15日に締め切られるという。記事によれば、「国語」という言葉が登場したのは1894年であり、その背景には当時の国策があったようだ。しかし、その是非は別として、「国語を通じて日本人の心を育て、文学や詩歌を通じて人を思いやる心を育てる」という意味で、日本語を世界の言語の1つとして言ってしまってよいのかという議論があり、また、学問の対象として「国語」「日本語」のどちらがふさわしいかを論じているだけという意見もあるようだ。

 小学校以来「国語」という科目を当然のものとして学んできただけに、これまで「国語」か「日本語」かなど、あまり考えたことが無かった。大学時代には、心理学講座と並んで、国語学、国文学、国史学という講座があったように記憶している。「国文」や「国史」は何となく古いというイメージがあったが、「国語」については違和感がなかった。やはり小学校以来の科目名として定着していたためだろう。大学の「日本語教育」とは、外国人留学生に日本語コミュニケーション能力を身につけさせる教育のことを言っていた。やはり「日本語というのは外国人が学ぶもの」という固定観念ができあがっていたようだ。

 もっとも、その後、「国語・国文学」は「日本語・日本語文学」に、「国史学」は「日本史学」に改称する大学が増えた。かつて、「実験講座」「非実験講座」の予算配分に著しい差があった時代には、文学系の講座の中で唯一「言語学」講座だけが実験講座に指定されていた。記事でも木田・京大大学院教授のコメントが寄せられていたが、「国語学」を「日本語学」にすると、実験講座と認定される時代があったらしい。

 「国語学」と「日本語学」の違いは、「国語」と「日本語」の違いとはおそらく別物なのだろう。教科としての「国語」は、少なくとも私が小中校生だった時代は、「日本語学」ではなくむしろ、「文学」に近いものだった。そこでは、翻訳ではあるが、外国の文学も紹介されていた。このことも違和感の一因になっている。

 そういえば、2/11の朝日新聞に、文芸春秋社が「日本語大切」という大広告を出していた。最近人気の日本語ブームというのは、日本文学ではなくあくまで日本語の表現力や文法についての議論になっているように見える。

 余談だが、語学・文学関係の講座名、履修コース名、入試科目名等で揺れ動いているものとしては、他に、「ドイツ語」か「独語」か、「フランス語」か「仏語」か、「朝鮮語」か「韓国語」か、などがあるようだ。英米文学についても「イギリス文学」、「アメリカ文学」が使われることがある。

 最近の傾向として、外国語の名称は漢字からカタカナに変えられる傾向にあるようだが、略称としては「独仏」というように漢字表記のほうがはるかに使いやすい。もっとも、2000年3月22日の日記に書いたように、外国の漢字表記は、漢字文化圏共通とは言い難い。日本語(日)と中国語(中)を比較すると
米国(日)→美国(中)、仏蘭西(日)→法国(中)、独逸(日)→徳意志(中)。伊太利亜(日)→意大利(中)
といった具合だ。日本の大学には「法文学部」というのがあるが、あれって中国では「フランス文学部」という意味になるんだろうか。



何も言えない?日本

 イラクへの武力行使を急ぐ米英に対して、フランス、ドイツ、ロシアの3国は10日、イラクへの査察継続を重視し、武力行使以外の方法による解決を強調する共同宣言を発表したという。この宣言には中国も賛同を表明した。

 こうしたニュースが伝えられるたびに思うのは、いったい日本はどこにいるのかということ。「世界第二位の経済大国」などと自画自賛するばかりで、外交面ではいつも米国の顔色をうかがい、のらりくらりと曖昧な態度をとり続ける。それができるということは、あるいはすでに、日本は無視しても構わないくらいの弱小国家になった表れであるかもしれない。

 確かに敗戦後の日本は、米国に依存するかたちで奇跡的な大発展を遂げてきた。米国のご機嫌をとりつつ、冷戦構造をうまく利用する形で工業生産をのばしてきた。その中では、「自分では何も判断しない、米国を怒らせない、すべて成り行きに任せる」という態度は常に成功をもたらし、我々の行動を強化してきたとも言える。

 しかしこの十年で世界のバランスは大きく変化した。国内では「バブル崩壊」ばかりが回想されているが、私には中国の経済発展のほうが遙かに重大な変化であるように思える。2/11の夕食時にたまたま「火曜SP 大阪デパート戦争」という番組を視ていたが、子供服売り場で3割引で売られるというブランド品の値札に「中国製」と書かれてあるのが目についた。最近購入したパソコン周辺機器も、よく見ると「Made in China」となっていた。

 米国にとって大切な国とは、結局のところ、米国を利する国ということだ。これは、台湾政策の変化を見てもわかる。国内問題としての「台・中」、国際関係としての「日・中」という根本的な違いがあるにせよ、いずれ、米国にとって、アジアで最も大切な国は中国ということになる時代が来るかもしれない。その時の日本の国益などは米国にとってどうでもよいものになるに違いない。