じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
3/23の日の出。春分の日が過ぎたばかりなので、ほぼ真東から右上方向に上っている。 |
【ちょっと思ったこと】
イラクに親米国家は作れるか 米英のイラク攻撃に対しては、イスラム諸国内ばかりでなく、ニューヨークで過去最大規模の10万人(その後の報道によれば20万人超)、パリで9万人、ベルリンで5万人の反戦デモがあったという。またローマ法王も戦争では何も解決しない、と武力行使を強く批判したという。いっぽう日本でも各地で反戦運動の動きはあるが、何万人もの規模には至っていない。 大量破壊兵器を破棄させるため、独裁者からイラク国民を解放するため、...などと大義名分はいろいろあるだろうが、いくら理由をつけても戦争は戦争だ。犠牲を最小限にするために「最大限の努力する」とか「十分注意する」などと言っても、爆弾を落とした後の結果を「努力」や「注意」で変えることはできない。そこで暮らす人々にとっては、戦争の理由がなんであれ、国土が焼かれ身内が殺されてうれしいはずがない。 かなり以前から言われていたことだが、イラク敗戦後は、第二次大戦後の日本をモデルにした復興計画が密かに立てられているとか。確かに、敗戦後50年以上経っても、なお追従し続けるような親米国家は歴史上類を見ない。イラクが同じような道を進めば、アメリカにとってこれほど好都合なことはあるまい。 しかし、イラクが日本のような親米国家になるというのは次の3点からみて甘すぎると思う。
このWeb日記でも何度か書いたことがあるが、上記の三番目の点については、その理由をもう少し考えてみたいと思っている。あれほど「鬼畜米英」と叫び、夫や息子たちを米兵に殺され、さらにはヒロシマ、ナガサキで無差別大量殺戮を体験しながら、戦争が終わるやいなや、それらは「辛い体験」としてしか語り継がれなくなってしまった。そして、アメリカをお手本とし、アメリカ経済に依存する形で第二の経済大国と言われるまでに「発展」を遂げたのである。 戦後40年余りにわたって続いたイデオロギーの対立のなかで、国内の保守層の大部分が「反共=親米」で結束せざるをえなかったことに一因があるとはいえ、これほど順応しやすい国民はほかにはおるまい。外国からの脅威に晒されてこなかったという島国としての特殊性、それと徳川幕府などの長期政権の影響によって、「おかみの言うことには口を出すな」を大前提に、上からの変化に出来るかぎり合わせて最善の道をさぐるという生き方が染みついてしまったためだろうか。 |