じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 駐車場北側の空き地でハルシャギクがいっせいに花を開いた。駐車場ができる前は、このあたりの空き地全体がハルシャギクのお花畑になった時もあった。昨年の6月10日の日記でも述べたように、野生化した園芸植物としては、岡大構内では最強の繁殖力を誇る。 ========== -->


6月10日(火)

【ちょっと思ったこと】

「三位一体」とは何か

 このところテレビニュースや新聞に「三位一体」という言葉が異常に多く出現している。その犯人は地方財政改革である。6月11日朝のNHKニュースでもトップ項目の1つに

●「三位一体改革」、関係閣僚が協議へ

という見出しが挙げられた。また6月11日の朝日新聞には「三位一体改革Q&A」という解説記事の連載が始まった。今年の流行語はひょっとして「三位一体」になるのかと思えるほどである。

 上記の解説記事によれば、いま言われている「三位一体」とは、

●(1)国から地方への補助金削減、(2)税源の移譲、(3)地方交付税の見直し、の3点をセットで進めようという改革

のことらしい。

 しかし私は「三位一体」という言葉自体にどうしても違和感を持ってしまう。言うまでもなく、「三位一体」は、

●父(=天の神)・子(=キリスト)・聖霊はすべて神の現れで、本来一体のものだというキリスト教の教義。

に由来する言葉である。ネット上で検索してみたところ、より正確には

●三位一体とは、キリスト教の奥義の一つで、神には、父・子・聖霊という異なった三つの位格(persona)があるが、神は実体(substantia)としては同一であるという考えである。[永井俊哉講義録 第128号から引用]。

という意味であるようだ。もちろん慣用的には

●三者が心を合わせること。「親と学校と地域が三位一体となって子どもを守る」[三省堂、大辞林]

という使い方も認められているようだが、独立主体が力を合わせるのであれば、

●「親と学校と地域が三位一体となって子どもを守る」→「親と学校と地域が三者一丸となって子どもを守る」

と表現すべきではないかなあ。

 たしかに、今回話題となっている、(1)国から地方への補助金削減、(2)税源の移譲、(3)地方交付税の見直しのセットの場合は、独立主体が力を合わせるわけではないので、「三者一丸」とは言い換えられない。だからといって、原義の「本来一体のもの」と言えるかどうかは議論が分かれるところだろう。

 今回は、いったい誰が提唱者なのだろうか。カタカナ表記が氾濫している時代に敢えて漢字表記の呼称を使った点は評価できるが、宗教界から反論は出ないもんかなあ。以前、某政治家が「日本の防衛政策は他力本願だ」と、「他力本願」を「他者依存、主体性欠如」の意味で否定的に使ったところ、仏教界から反発をくらったことがあった。




雨粒のかたち

 気象庁は10日、近畿、中国、四国、関東甲信、東海地方の梅雨入りを発表した。これに合わせた話題ということだと思うが、6月11日の6時前のNHK気象コーナーによれば、雨粒というのは実際には扁平な、鏡餅かクラゲの傘のような形をしているとのことだ。落下時に空気の抵抗を受けて横に広がるためらしい。しかしその形を肉眼で捉えることはできない。

 雨粒が見えないのは、1つには秒速10mという速さで落下しているため。それと、大粒(3mm以上)の雨は空気抵抗により分裂してしまうという。

 雨降りを絵に描かせると、広重の浮世絵はもちろん、幼稚園の子供でも、線のように表現される。また雨粒は、上がとがった形に描かれることが多いが、これはたぶん、ぽたぽたと落ちるしずくの形と同じものだという思い込みからくるものだろう。どっちにしても、雨粒は、ちゃんと見えているようで実は本当の形がまったく見えていないという点でまことに興味深い。





「下町の太陽」ではなく「寒い朝」だった

 みのもんたさんの「今日は何の日」によれば、6月10日は作曲家・吉田正氏が亡くなった日であるという。この番組を視て、吉田正氏作曲の

●♪北風の中に 待とうよ春を

という歌のタイトルは、「下町の太陽」ではなく「寒い朝」だったことを知った。しかも歌っていたのは、倍賞さんではなく、なんと吉永小百合さんだったのだ。

 「待とうよ春よ」の歌は、、小学生の頃、葉山海岸に海水浴に行った帰りに、バスガイドさんの歌として初めて聞いた。ところが歌い終わっても誰も拍手しなかったので(←実際はみんなくたびれて寝ていた)、ガイドさんは少し前の流行語であった「声なき声」をもじって、「世の中には拍手なき拍手という言葉もありますので...」と照れ隠しをしていた。また私自身は、「待とうよ春を」が「的射よ、猿を」と聞こえてしまい、なぜ、猿を弓で射なければならないのか、ずいぶん妙な歌だと思っていた。

 なぜ倍賞さんの「下町の太陽」だとずっと思い込んでいたのか。これはたぶん、「待とうよ」という歌のイメージが吉永さんよりは倍賞さんに近かったためだろう。元々はシベリア抑留をイメージして作られた歌だという説もある。歌詞と裏腹に暗い曲であるように感じるのはそのせいかもしれぬ。