じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] [写真] 大学構内の珍しいキノコ第二弾。このキノコは毎年、時計台前の芝地に出現する。キノコに詳しい方からの情報により、キクメタケであることがほぼ確定。キクメタケの名前の由来はひび割れで区切られたところの模様が菊の花に似ているから、だそうだ。


6月23日(月)

【ちょっと思ったこと】

「天罰屋」やら「子連れ狼」やら

 月曜19時台に「天罰屋くれない・闇の始末帖」という番組がある。これまで時代劇に全く興味の無かった娘がなぜかこれに熱中しており、時折デジカメで画面を撮影している。よくワカランが、好みのタレントが出演しているのだろう。

 夕食時にこの番組を視ていた(視させられていた)が、終わり方がちょっと変だなあと思ったら、なんと最終回であった。私が学生時代の頃に人気があった「必殺仕掛け人」「仕事人」の焼き直しみたいな内容であったが、いまの時代にはあまり受けないのだろうか。

 ところが、次回からはなんと「子連れ狼」の焼き直しが始まるという。なんかいまひとつ創造性に欠けるなあ。21世紀型の新しい時代劇は作れないもんだろうか。

【思ったこと】
_30623(月)[心理]「信頼性」と「信憑性」はどう違うか

 先週のゼミで某院生が調査面接に関連して
インフォーマントの発言内容に信憑性(一貫性)がない場合はその証明が容易であるが,逆に信憑性の保証はどのような基準で行うべきなのか本書では明言されていない。信憑性の保障は十分条件のみを満たせばよいのか,必要条件をも満たさなければならないのか。
と疑問を投げかけた。また、その際、「信頼性」と「信憑性」の違いについても話題になった。その際に考えたことをメモしておきたい。

 まず辞書的な意味を『大辞林』(三省堂)で調べると
  • 信憑性:人の言葉などに対する信用できる割合。信頼性。(「憑」は、たのむ、たよる、よりどころ)
  • 信頼(性):信じて頼ること。
と書かれてあった。信頼性の意味が「信じて頼る」では「信」と「頼」を動詞化しただけのこと、なんだかあんまり信頼性の無い定義ですなあ。

 『新明解』(三省堂)では
  • 信憑(性):確かで、信頼出来ること。
  • 信頼(性):どんな点から見ても誤りの無いものとして、信用すること。

 となっていた。こちらは「信憑(性)」の定義が信頼と区別しにくくなっている。



 心理学の研究では「信頼性」は専門用語になっているが、「信憑性」という言葉は聞かない。『心理学研究法〜調査・実験から実践まで〜』(東大出版会)などを参考に「信頼性reliability」の定義を確認してみると
  • いつどこで誰が行っても同様のデータが収集できるというデータの安定性
  • 観察の信頼性:複数観察者の一致率が高ければ信頼性が高いと言えるが、観察者全員に共通のバイアスがあれば信頼性の高い観察とは言い難い。観察にバイアスがかからないよう事前訓練が必要。
  • 測定の信頼性:データの一貫性。時間をおいて繰り返し測定しても、異なる評定者によって行われても結果が一貫していること。
 ちなみに心理学の研究では「内的妥当性」(internal validity)という概念がある。こちらは、処遇と結果の関係において、処遇の効果についての主張に確信がもてる程度のことを言う。いくらデータが安定・確実なものであっても、時間経過や想定外要因の影響が及んでいれば内的妥当性の高い結論は導けない。なお上掲の『心理学研究法〜調査・実験から実践まで〜』では、内的妥当性は、研究の「確実性」の側面に対応する概念であると述べられている(p.124)。




 さて、元の「信憑性」の話題に戻ろう。「信憑性」と「信頼性」についての素朴な印象を私なりに挙げると次のようになる。
  • 「信憑性」は対人的な意味に限定されており、相手方の言葉、約束、態度、行動などへの信用できる程度のことを言う。いっぽう。「信頼性」は、「この制御装置は信頼できる」、「この時刻表は信頼できない」というように、人間以外に対しても使われている。
  • 「信憑」は名詞だが「信頼」は「する」をつけて行動を表すことができる。
  • 測定の問題としてとらえるならば、(罪を犯していながら)犯行を一貫して否認している容疑者の発言は「信頼性」のあるデータである。但し「信憑性」のあるデータとは言えない。
 「信憑性」、「信頼性」いずれの場合も、それをどう信用するか(利用するか)という、データを扱う側のニーズが反映している。つまり
  • 容疑者を取り調べる検事にとっては、事実と合致する発言に利用価値がある。
  • 商品開発者にとっては、事実がどうあれ、消費者がその商品をどう受けとめているかが問題。例えば、「トラノオは、マイナスイオンを発生するので気分がよい」というのは科学的根拠が無いが、消費者がそう思っている限りは商品は売れる。
  • 病気の診断においては、患者の愁訴が手がかりとして利用できるかどうかが問題。
  • 質問紙性格検査では、例えば「新聞の社説を毎日は読まない」は、事実の確認ではなく、自分をよく見せかけようとしているかどうかを判断するための言語刺激のセットの1つとして利用される。
  • 痴呆のお年寄りの場合は、記憶の混乱に合わせて対応してあげることが重要。事実を確認させることがすべてではない。
といったところだろうか。




 過去の出来事、あるいは直前の体験を聞き出すといっても、100%の情報を引き出すことは原理的に不可能であろう。語られた内容が事実に一致するかどうかはある程度確認できるだろうが、当人が言語化、再生できない事実も多数残っているはずだ。しょせん、何かを語るという時の人間は、すでに別の時間空間の中に生きているのであって、その新しい世界のほんの一部の道具を利用し、ほんの一部の器官を使って、過去の再生を試みているにすぎない。そのことをわきまえた上で、ニーズに合わせてデータを利用していくほかはあるまい。