じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 定点観測していたアシナガバチの巣。13日に撮ったこの写真が最後。14日〜15日の間に、ここに居た蜂たちは突然姿を消した。巣の周辺には死骸は全く見当たらないので、外敵に襲われたり殺虫剤で駆除されたわけではなさそう。新しい女王のもと、どこかへ移動したのだろうか。


9月17日(水)

【思ったこと】
_30917(水)[教育]電子ジャーナルは私企業による知的資産独占支配か

 従来の冊子体の学術雑誌に代わって、「電子ジャーナル」と呼ばれる講読方法が話題になっている。私のように一日中ネットにつないで仕事をしている者にとってこれほど便利なものは無いのだが、契約や価格については、こんなことでいいのだろうかと思うことがある。今回は外国雑誌(といっても殆ど英米)の講読についての疑問を率直に述べたいと思う。

 電子ジャーナル化された学術雑誌は、大学の図書館が出版社・情報企業あるいはその代理店とパッケージ契約を結ぶことで大学構成員が学内LANを通じて無料で閲覧できるようになっている。冊子体(印刷された雑誌)の場合は、図書館まで足を運びコピーをとる必要があるので、時間や手間やお金がかかるが、電子ジャーナルであればその必要がない。居ながらにして好きなだけ文献が読める。また、この種の資料は検索機能もしっかりしているので、必要な論文を漏れなく、かつ迅速に探し出すことができる。このほか、製本の経費不要、図書館の書庫スペース不要、貸し出し業務の人件費節約、破損や紛失の恐れ無し、...など、いいことずくめになっている。

 では、何が問題か。私が一番不安に思うのは、電子ジャーナルの契約形態や価格が、私企業(出版社・情報企業、あるいはその代理店)の言いなりで決められてしまう点にある。本来、どの学術雑誌を講読するかということは、その大学の研究者のニーズに応じて個別に判断されるべきである。ところが、私企業は、パッケージ契約しか受けつけないと言う。要するに、その私企業が一方的に100タイトル、500タイトル、1000タイトルというように選択肢を決め、その私企業の言い値で、何千万円ものお金(=国立大であれば税金)が支払われていくのである。もちろん多少の値引き交渉はするだろうが、そのプロセスは不透明であり、適正価格がどの程度のものであるのか、第三者が評価する仕組みさえない。

 そして一番の問題は、複数の会社による自由競争が行われていないということだ。極言すれば、知的資産は私企業によって管理され、その金儲けのために、大学の予算や授業料が吸い取られていく恐れがあるのだ。




 図書館の予算執行というのは、我々がふだん購入する備品や消耗品に比べると自由競争が極端に起こりにくい状況にあるようだ。その理由の1つは学術書が定価で販売されており、取次店のあいだで値引き競争が行われにくい状況にあるためだ。実際には、多少の値引き(定価より5%〜10%程度)が行われているというが、納入業者間で競争が行われているという話は聞かない。生協では組合員に10%引きしているが、図書館ではそこまでは実現できていない。よく言えば棲み分け、悪くいえば談合と同じだ。

 冊子体の学術雑誌購読についても以前から腑に落ちないところがある。例えば、私が、アメリカ心理学会発行の雑誌の講読を希望したとする。この種の雑誌は普通、学生割引講読、個人講読、機関講読というように異なる代金が設定されているが、研究費を使用する場合は、図書館を通じた機関講読しかできない。しかし実際には機関講読代金をはるかに上回る代金が差し引かれているのである。それは図書館がアメリカ心理学会と直接購読契約を結ぶのではなく、日本国内の大手業者に手続を代行させているからである。では、国内業者のあいだで自由競争があるかというとこれも定かではない。実質は、複数の業者間で棲み分けしているだけではないかと疑ってみたくなる。




 話が長くなったので、これは別の機会にもう一度書こうと思うが、学術雑誌には、出版社が発行するものと、学会が発行するものがある。学会が営利団体で無い以上、少なくとも学会機関誌に関しては、印刷経費分程度の代金で全国の図書館に提供すべきであろう。それらを電子ジャーナル化する場合は、公的な学術情報提供機関がそれらを管理し、著作権を十分に保護した上で、必要最低限の受益者負担により提供するのが本来のあり方であると思う。

 学会が私企業に論文ファイルを提供し、それによって学会の収入をふやそうとしたり、また受け取った私企業が、独占的な知的資産提供ビジネスで金儲けするようでは、日本の将来は暗い。公的機関でなく私企業が情報提供するということは、いっけん民営化の流れに沿っているように見えるが、それは複数企業が参入できる条件があればこその話である。現状は逆で、規制緩和、自由競争の精神に反するものであると思う。