じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
軒下のエンゼルトランペットが氷点下の寒さに耐えかねてとうとう萎れてしまった。遅かれ早かれこの場所では地上部はすべて枯れてしまうが、根は残り、次の夏に再び2メートル近くまで枝を伸ばす。 |
【ちょっと思ったこと】
電子年賀状やっと開封 正月に海外旅行に行ってきたしわ寄せで、修論査読などの書類読み、各種報告書提出、正月明けの会議など、朝から夕まで大忙しの毎日が続いた。そんななか、10日になってやっと、先方からいただいた電子年賀状をすこしずつ「開封」し、返事を書いている。 葉書の年賀状と違って、印刷や宛名書きの手間が要らない。同時に何通でも出せるというメリットがあるのだが、これはあくまで、こちらから一斉に発信する時の話だ。いざ受け取った側に立つと、
年賀状についてはいろいろな考えがあろうかと思うが、少なくとも日頃から交流のある人とは随時Eメイルでやりとりをすればよく、わざわざ賀状を出す必要はあるまいというのが私の考えだ。その年の最初に送るメイルの冒頭で本年もよろしくと書いておけばそれでいい。 |
【思ったこと】 _40110(土)[一般]新選組と生涯一作品主義 夕食時にNHK土曜特集「新選組・あなたの誠は何ですか」をやっていた。11日から始まる大河ドラマの視聴率を上げようと必死になっているらしい。これに便乗?して、朝方、民放でも「新選組ブーム」を取り上げていた。民放では、ブーム?の原因として
仮にいま「新選組ブーム」が起こったとしても、それは史実ではなく、フィクションとしての新選組に対する幻想に過ぎない。実際のところは、崩れゆく現体制の中で、敢えて体制側に立ち白色テロを繰り返す暗殺者集団のようにも思える。池田屋事件などを通じて時代の流れを数十年ほど遅らせた、という以外には歴史学的にはあまり影響を及ぼさなかったようにも思える。 実際の活動についても本当に「誠」を貫いたものなのかどうかは疑わしい。京都ではずいぶん町民をいじめたことであろうし、金の使い方もええ加減であった。『新選組始末記』(子母沢寛、角川文庫)には、隊金私消の罪で斬首となった河合耆三郎の逸話が記されているが、それが発覚したもととなった五百両は、近藤勇と関係の深い島原の太夫の受け出しに必要な金だったという証言があるくらいだ。 新選組が美化されたのは、なんと言っても司馬遼太郎の「燃えよ剣」に由来するらしい。また1965年頃と1970年頃に2度にわたりテレビドラマ化されたことの影響も大きい(こちらの資料によれば、
上記のドラマのうち、「燃えよ剣」のほうは再放送で何度か楽しんだ。当時は、京都に下宿していたこともあって、下鴨神社や相国寺境内を自転車で通学していた時など、番組テーマ曲がしばしば浮かんできたものだ(←じっさい、あのドラマでは下鴨神社・糺の森がロケ地に使われていた)。 99年11月28日の日記にも書いたように、私自身は、映画やドラマは、「一原作一感動主義(あるいは生涯一作品主義)」を貫きたいと思っている。つまり、ある原作を描いた映画あるいはドラマで十分な感動が得られた場合は、同じ原作を描く別の作品はもう観ないという考え方である。理由は、新しい作品を観ることで過去に観た作品の感動が薄れてしまうことを恐れるためである。この考え方から言えば、私の生涯では、新選組は「燃えよ剣」(TVドラマ版)一作品だけで十分。今回の大河ドラマを含め、他の映画やドラマを改めて観たいとは思わない。 |