じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
一週間ほどまえ、ザクロの棘にムカデが刺さっているのを見つけた。モズのはやにえではないかと思い付近を見渡したところ、羽根に白い斑点のあるオスのモズを発見。もっとも、その後もムカデはずっと刺さったままになっており、食料として利用するつもりはなさそう。 |
【思ったこと】 _40123(金)[一般]一人三役主義とチボリの将来 夕食時、NHKふるさと発「倉敷チボリ公園 一人三役主義の社長」を視た。第三セクターとして開園したチボリ公園は当初はたくさんの観光客が訪れ、遠方からの観光バスのほか、休日には京阪神方面からの快速電車が運転されたこともあったと記憶しているが、入場者数は減少の一途をたどり、累積赤字がますますふくらんでいる。 番組では、その立て直しの切り札として就任した社長と、「一人三役主義」方針にとまどいながらも必死に仕事をこなす中間管理職の激闘ぶりが紹介された。 番組から理解した限りでは、「一人三役主義」とは、社長以下すべての職員が、本来の持ち場にこだわらず、イベント企画立案、店頭販売、道案内、レストランでのウェイターなどなんでもこなせるようになるという意味のようだ。すべての職員があらゆる現場に熟知していれば、お客に一貫したサービスが提供できる。それまでの縦割り主義では、企画者は現場の実情を知らない、みやげもの店員はその日のイベントスケジュールを知らない、というように、断片的なサービスしか提供できず、また、チボリ全体を支えようと言う気概が生まれてこない。新社長の新しい方針に対して、当初は「現場に追われて疲弊し創造的なイベントを企画できない」といった不満も聞かれたが、その後数々の困難を乗り越えて改善に取り組み、昨年暮れのクリスマスイベントでは予定を上回る1万人以上の入場者を迎え入れることができたという。 「一人三役主義」と言えば、大学の教員にも「教育」、「研究」、「管理運営(各種委員会活動など)」の三役が求められている。実際にすべてをこなすことは難しく、研究重視型、教育重視型、管理運営重視型(学部長など)というように分かれることになるが、1つだけに専念して他のことは知らないというのではやはり困る。学長といえども何回かは特別講義を担当すべきであるし(岡大では、全教授が出講する教養特別講義というのがある)、教育のエキスパートにも管理運営上の発言権を強めておかないと教育環境の予算が適切に使われないおそれが出てくる。 また、国立大学法人化の中では、学外者が経営に参加することとなっているが、そこでは経営責任者にも「一人三役主義」を重視し、みずから教室を回って学生の反応を観察するとか、時には自分の得意分野について特別講演を行うといった活動をすることが求められる。 最初の話題に戻るが、倉敷チボリに関しては、いまなお悲観的な見通しを払拭できない状況にあるように思える。というのは、少なくとも私個人がチボリに求めているのは、人的サービスの質の高さではなく、むしろ園内ののんびりとした雰囲気や北欧風の街並みにあるからだ。従って、職員が一丸となってサービス向上につとめてくれたからといってそれほど魅力が増すことにはならない。 ハウステンボスやドイツの森を訪れた時にも思ったことだが、外国の街並みを主体としたテーマパークというのは、開演当初は目新しさもあって当初は大勢の観光客を呼び込むに成功するものの、4年、5年と経過していくなかでは何か新企画を出さないと経営が維持できない宿命にあるようだ。その一番の原因は、外国の街並みを再現するといっても所詮それは建物だけのことであり、現地の人間の生活までは真似できないためである。古い街並みに住む人たちがそこでホンモノの生活をしている限りは、観光客の有無にかかわらず街並みは保存される。建物だけ真似をして、土産物やイベントで人を呼び込むというのは、原理的に長続きしないのではないかと思わざるをえない。 だいぶ前のことになるが、東京・小金井の「江戸東京たてもの園」を訪れたことがあった。あそこに再現された街並みの一部は私が子供の頃に育った環境とそっくりであり懐かしく感じられたが、住人が誰もいないというのは寂しかった。いっそのこと、賃貸住宅として昭和30年代の街並みを再現してくれたら、自分でも住んでみたいと思ってみたりする。 |