じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] [今日の写真]  京大・時計台内部にあった展示室。百年の歴史の重みを感じさせる。面白いと思った展示物の中に、大学紛争当時に学生セクトが配ったビラ(=通称、アジビラ)があった。私が学生の頃は、大学構内も講義室の中はビラだらけだったが、そのうちの数枚が「古文書」として大事に保管されているとは...。もっとも、当時のヘルメットや旗竿はさすがに展示されていなかった。

 写真右上は、展示室内の京大本部構内の模型。私が入学した頃は、マル付き数字の3、4,5はまだ残っていたが、じきに建て替えられた。左下の学生部建物やその上に考古学博物館は卒業する頃まで残っていた。1と2の建物は増設されており、このうち1の地下に心理学・動物実験室があった。

 それにしても、最近の京大というのはいつ訪れてもどこかで工事している。それだけ資金が豊富なのだろうが、「万年工事中大学」ではキャンパスの平穏と雰囲気が保たれない。もちろん工事自体は岡大でも年中行われている。それがあまり気にならないのは、敷地が広いわりに、建物が少なく、十分に間隔が空けられているためではないかと思う。


2月9日(月)

【ちょっと思ったこと】

ウミショウブの神秘

 夕食時にNHK地球・ふしぎ大自然「海面を花が走る 西表島 海の神秘」を視た。この番組は時たましか視ないが、その中でも今回は感動的であった。それが日本国内で起こるというのもすごい。

 番組記録に記されているように、ウミショウブはもともと陸上植物だったという。雄花が水面をスイスイと走り、雌花に吸い込まれる様子はまさに「ふしぎ大自然」そのものであったが、どうやって海中で生育できるようになったのか、どうやって大潮を予知できるのかというところに本当の不思議があった。

 ウミショウブが陸上植物であったとすると気孔があるはず。しかし気孔から海水が入ったのでは呼吸ができない。番組によれば、葉に気孔の痕跡があるもののすでに閉じられていて、呼吸や二酸化炭素の排出は葉の表面の特殊な細胞で行われているということであった。

 さらに謎であったのが、大潮をどう予知するのかということ。海中の雌花は、通常の潮位では水面の雄花を吸い込むことができない。大潮の時だけ、水面すれすれに花を咲かせることができるのだ。それゆえ、雄花は大潮に合わせて泡とともに茎から分離し水面に浮かび上がらなければならない。時機を逸すればすべて無駄になってしまう。

 雄花が浮かび上がる仕組みは大潮の前の水圧の変化によって起こるのではないかとふと思ったが、実験によると、潮位が変化しない水槽の中で栽培してもやはり大潮の頃に花を咲かせることが分かったという。となれば、番組で言われていたような「体内時計」、もしくは、太陽と月の位置を関知する特殊なセンターを持っているということでないと説明できない。体内時計説の場合、大潮のタイミングを計るための最初の「時刻合わせ」をどうするのか、誤差の拡大をどう調整するのか、といった疑問が残る。

【思ったこと】
_40209(月)[心理]批判的思考の認知的基盤と実践ワークショップ(2)クリティカルシンキング概念の定義と必要性

 昨日の日記の続き。ワークショップではまず、企画者のお一人の楠見氏が、企画趣旨や背景などについて説明、さらに批判的思考(クリティカルシンキング)に関する授業の実践例を紹介された。授業は学部2回生対象、半期14回のものであり、TA2名も参加した講義、討論などから構成されていた。全体として授業の成果は大きかったと推測されるが、「リンダ問題」、「コーネル尺度」、「フレーミング問題」、「Watson-Glaser」などのテストや測定では、受講による効果は検証できなかったようだ。

 この話題提供でなるほどと思ったのは、まとめのところに示された
  1. 質問紙調査研究:市民対象の個人差研究
  2. 実験室研究:学生参加者によるプロセス研究
  3. 教育実践研究:良き市民、賢い消費者、優れた研究者を育てるための批判的思考教育
という研究のプロセスである。心理学の研究は往々にして、自分が所属する大学の学生を対象とした質問紙調査研究や、実験室実験だけで変数をいじくるモデル研究に終始し、論文の数は増えてもちっとも社会に還元されないという、よく言えば「理論・基礎研究」、悪く言えば「象牙の塔にこもった、研究のための研究」に陥りがちであるが、3.の実践研究をセットで考慮するという視点は大切なものだと思う。このあたりが、教育学部系心理学のすごいところだ、と言ったらほめすぎだろうか。




 続いて話題提供された道田氏は、日本におけるクリシン研究の第一人者でもある。道田氏は、批判的思考(クリティカルシンキング、以下「クリシン」と略す)概念についてのさまざまな定義表現を紹介され、また、クリシンの思考技能のみを議論すればよいという立場と、クリシンの態度や用い方を重視する立場があることを指摘された。

 またクリシンには、論理学的クリシン(正解があり、その力を測定できる)、哲学的クリシン(問い続けることを重視)、心理学的クリシン(認知バイアスなど、心理学の知見を活用。概念には無頓着)という根本的相違があることも指摘された。

 その後の質疑や、子安氏の最後のまとめのところでも言及されたが、科学研究の基本である「概念の節約」に徹するならば、クリシン概念きわめて多様であり、ポパーの言う反証可能な形で論じることが難しい。しかし、今回のワークショップ自体がそうであるように、「クリシン」というテーマのもとで、多種多様な研究を総合的に議論し、楠見氏の言われたような「良き市民、賢い消費者、優れた研究者を育てるための批判的思考教育」に発展させるという方向性は大いに意義があるのではないかと思った。

 次回に続く。