じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] ワルナスビ。全体が鋭い棘に覆われており、軍手をはめて抜き取ろうとすると痛い目にあう。この花はカラコルムハイウェイのインダス川沿いでも見かけたことがある(写真はこちら。アルバムはこちら。棘は、家畜に食べられないように身を守る効果があるようだ。「ワルナスビの花で子育ての失敗談を思い出す」という話題はこちら。その息子も今や大学生になってしまった。


6月6日(日)

【ちょっと思ったこと】

学校は「金星の日面通過」にどう取り組むだろうか

 アストロアーツの解説サイトにあるように、6月8日、日本では130年ぶりに、金星の日面通過を観測することができる。あいにくの梅雨空であるが、1〜2分ですべてが終わる皆既日食とは異なり、14時11分から日没までの長丁場である。雲間から一度くらいは見えるのではないか、また場所によっては、日面通過の最中の日の入りの瞬間が捉えられるのではないかと期待される。

 金星の日面通過とは、太陽と地球の間にピッタリと金星が入り込む状態のことを言う。陸上競技で言えば、「地球走者」を「金星走者」が内側レーンから追い越す瞬間とも言える。これが非常に珍しい現象となるのは、金星の軌道面が地球の軌道面に対して約3度余り傾いているためである。天文年鑑2004年版によれば、
  • 日面経過が起こるのは内合が金星軌道の昇交点または降交点の付近で起こる場合であるので、その時期は、6月7日頃と12月9日頃に限られる。
  • 会合周期583.9日の5倍(2919.5日)がほぼ8年に等しい(差は2日余り)ことから、一度金星の日面経過が起こるとその8年後にも日面経過は起こりうる。従って次回は、8年後の2012年6月6日となる。
つまり、我々の世代は、一生のうちに2回もこれを観測するチャンスに恵まれているのである。

 同じ天文年鑑2004年版によれば、金星の日面通過観測の重要性を指摘したのは、ハレー彗星で有名なイギリスのハレーである。当時、太陽や惑星までの絶対的な距離は知られておらず、1761年と1769年の日面経過時にハレーの提案にしたがって世界各地で観測が行われ、太陽までの距離が約1億5千万キロメートルであることが初めて明らかになったという。但し、ハレー自身は、1656年11月8日生まれ、1742年1月14日没であるため、自らの手で日面通過を直接観察することができなかった。

 さて、日面通過の様子だが、実際には太陽の表面を黒点のような円盤がゆっくりと移動するだけであり、皆既日食や流星雨のような劇的な現象は全く体験できない。そうは言っても、長生きしたハレーでさえ見られなかった稀少現象である。せめて、外に出て、日面通過中の光を浴びて、この時期に生を授かったことを感謝するくらいのことはしてもよいのではないかと思う。

 私がむしろお願いしたいのは、小中高の教育現場での取り組みである。こんな貴重な瞬間に平常授業をやらせているような学校は失格だと言っても、言い過ぎではないと思う。自分自身が関心があろうとなかろうと、とにかく、子どもたちには、この世紀の珍現象を直接体験させてやりたいものだ。太陽観察の危険性についての周知徹底、紫外線への十分な配慮を行った上で、平常授業は即刻中止し、校庭での観察会、雨天・曇天の場合は体育館に大きなスクリーンを設置して、ネット中継を投影すべきだと思う。また単なる見物に終わらせてはいけない。一例として
  • 小学校の場合
    • 日面通過がどういう時に起こるのかを理解させる
    • 金星の大きさは太陽より近くに見えるにもかかわらずあんなにも小さいものであること、地球もほぼ同じ大きさであることを理解させる
    • 金星が太陽面を移動するのは、公転している地球を追い越している最中であり、あんなに速く動いているのだということを理解させる
  • 中学の場合
    • 上記に加えて、日面通過の現象を世界各地で観察することで、なぜ、地球と太陽との距離が測定できるのかを考える
  • 高校の場合
    • 上記に加えて、なぜ、この現象が1874、1882、2004、2012、2117、2125、2247、2255年というように、120年程度の間隔でほぼ2回ずつ観察できるのか、またその時期はなぜ6月と12月に限られるのかを理解する
といった学習目標を立てれば、総合的な学習の一環として大きな成果をあげることになるのではないかと思う。

 なお、アストロアーツの解説サイトでも強調されているように、太陽観察は非常に危険であり、一つ間違えると失明する危険がある。特に多い誤解は、単にまぶしくなければよいというのでは、という発想だ。本当に危険なのは目に入り込む紫外線である(アストロアーツのサイトでは「赤外線」の誤植がある()。後でメイルでも送っておくか)。手持ちの双眼鏡などで太陽を白い紙に投影して眺めるのが一番。学校教育でも、これを機会に、太陽光についての安全学習を同時に行うとよいのではないかと思う。

6/7追記]
この件についてアストロアーツにメイルを送ったところ、さっそくお返事をいただいた。
長谷川様のご指摘のとおり,太陽からの紫外線ももちろん危険です.
一方で,太陽は赤外線の波長域でも明るく輝いているため,赤外線の減光対策も必要となります.これを怠ると,強い赤外線が眼の細胞を傷つけ、失明する危険性があります.「簡便な方法による減光では,紫外線は防げても赤外線を防ぐことができない.赤外線対策は疎かにされがちなので,特にご注意ください」という内容の記述でした.

言葉足らずのために誤解を招いてしまったことをお詫び申し上げます.
ということで、誤植ではありませんでした。お詫びして訂正させていただきます。





聖火リレーの通り道

 アテネ五輪に向けて世界5大陸をめぐるの聖火リレーが6日、東京都内53kmを駆け抜けた。夏の聖火が日本でリレーされるのは1964年以来40年ぶりのことだという。

 午前11時に東京ビッグサイトをスタート、レインボーブリッジ、浅草雷門、東京ドーム、国立競技場などを通り、都庁都民広場にゴールというコースであると聞いていたが、テレビの画面で一部、西方向にコースが飛び出していることに気づいた。ネットで調べたところ、これは駒沢のオリンピック公園を経由するためであった。

 コース図を見ると、駒沢公園に到る往路は駒沢通り、復路は玉川通りだったようだ。コース往路の駒沢通りでは私の出身高校のすぐ近くを通過した。また駒沢公園の南には私の出身中学があり、当時は毎日、駒沢公園の中を歩いて通っていた。

 私が中学に入ったのは1965年4月。東京五輪のわずか半年後であった。駒沢公園の内も外もオリンピックの名残がまだまだたくさん残っていた。施設の大半は今でも残っているが、樹木だけはさすがに大きくなっている。もっと大きく変わったのは玉川通りのほうだろう。あの当時はまだ「玉電」が路面を走っており、首都高速は高架すら無かった。玉電の電停は、三軒茶屋の次が中里、それから上馬、真中(←上馬と駒沢の真ん中という意味)、駒澤、...の順だった。田園都市線の駒沢大学駅は玉電の駒沢よりあまりにも東に片寄っていて、いちど、東側の第二病院に向かう道路を駒沢公園西側の道路と取り違えて道に迷ってしまったことがあった。

 もとの聖火リレーの話に戻るが、東京五輪の時は、全国いくつかのコースから集合した聖火は、開催前、皇居前に安置された。これをわざわざ見物に行ったことを記憶している。あの聖火にちなんで命名された全国の「聖子」さんも今年で40歳を迎えられる。