じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 農場の金網に咲く朝顔。小学校で「朝顔は短日植物であり、日が短くならないと花芽をつけません」などと習った記憶があるが、この朝顔は、6月1日頃から開花が始まっている。このほか、鉢植えで育てている西洋朝顔(スカーレット・オハラ)もすでに開花。どうなっているんだろう。


6月8日(火)

【思ったこと】
_40608(火)[心理]40年前から楽しみにしていた「金星の日面通過」であったが

 6月8日は、金星の日面通過(太陽面通過)が、日本では1874年以来130年ぶり、全世界でも1882年以来122年ぶりに見られるはずの日だった。しかし、日本列島はあいにくの梅雨空模様であり、北海道など一部の地方を除けば、日没前にやっと観測された程度であった。私自身は、夕刻、長崎市科学館のセミライブ中継で鮮明な映像を拝見できたものの、残念ながら、その時の太陽の光を直接浴びることはできなかった。

 この日面通過については、私自身は特別の思い入れがあった。そういう珍しい現象があるということは、小学校5〜6年の頃、

●『天体と宇宙』(野尻抱影、偕成社、1963年)

という本を読んで知った。その本は、いまだに書棚に残っており、こちらが当該ページをスキャナで読み込んだもの。画像右下には、「次ぎには世紀をまたいで、二〇〇四年六月八日に起こる」と、まさに今回の日付がちゃんと記されていたのである。

 当時、11歳だった私には、41年後がどんな世の中になっているのか、その時の自分がどんなになっているのかは想像もつかなかったが、とにかく、その日にはぜひ、日面通過をじかに体験したいと思っていた。

 同じ画像の左側のページには、ホロックスというイギリスの牧師がその日時を計算して、1639年に初めてそれを観測したというようなことが書かれてあった。
その日は日曜日だったので、彼は教会へ説教に出なければならなかった。そして義務を果たすなり飛んで帰ると、危ないところでその時刻に間に合った。
などと書かれてあった。「1回くらい休んでもよいじゃないか。2004年の時、自分だったら仕事を休んでもそれを見るのに...」などと思ったものだが、「あくまで仕事優先か、それとも稀少な現象の時には仕事を休むべきか」を考えるエピソードとして、その記述はずっと記憶に残っていた。

 ところで、こちらのサイトでは、この本を書かれた野尻抱影先生は、1885〜1977。横浜市生れ。明治39年早稲田大学英文科卒。作家の大仏次郎は実弟、などと紹介されている。前回、日本で日面通過が観測されたのは1874年(1882年にも起こっているが、この時日本では日の出頃に終了しているので観測できなかった)ということだから、ハレー彗星で有名なハレー同様、この野尻先生もまた、日面通過の瞬間に居合わせることが叶わなかったお一人となった。




 さて、妻の前では「前世から通算して130年も待っていた日面通過が見られなくて空しい」などと愚痴をこぼしている私であるが、じつは、本当はそれほどガッカリしていない。8年後にもう一度チャンスがあることも1つだが、とにかくあの現象は、肉眼では見られないし(目を痛めてもよいなら、瞬間的に黒い粒くらいは見えたかもしれないが)、望遠鏡で投影しても、太陽の表面を黒点のような円盤がゆっくりと移動するだけであって、皆既日食や流星雨のような劇的な現象が起こるわけではない。ま、そういう点では、時折、雲ごしに「ああ、今、その現象が起こっているんだなあ」と自分に言い聞かせるだけでも十分満足であったとも言える。

 1999年11月15日の日記で、水星の日面通過に関して
天文現象の中には、観念的には珍しい出来事であっても、見た目にはまったくパッとしないというものもある。今回の水星日面通過などがまさにそれである。うちの息子などは「そんなもの眺めても何にも面白くない」とクールな反応を示していたが、じっさい、白い紙の上に映し出された太陽に黒い点を見たところで、レンズの埃や紙の上のシミと何ら違って見えるわけではない。小惑星、ごく暗い彗星、たまに見られる星食なども同様。これらは、宇宙という空間に対峙して天体と自分とのあいだの特殊な位置関係を観念的に意義づけないかぎり面白味のない現象に終わってしまうと言ってよいかと思う。
などと書いたことがあった。今回の現象も、直接体験により感動するというものではなく、稀少性や、過去の偉大な天文学者たちの関わりを思い起こしながら味わう、きわめて観念性の高い価値を求めるべき現象であったと受け止めるべきであろう。