じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 反魂草(ハンゴンソウ)。この花が咲くたびに思い出されるのが、フンザのホーパル氷河近くの休憩所に植えられていたこちらの花


7月29日(木)

【ちょっと思ったこと】

TVチャンピオンで珍しい判定ミス

 夕食時にTVチャンピオン:夏休み!家族みんなで脳みそ体操 小学生頭やわらかIQ王選手権を視た。タイトルから推測がつくように、今回は、天才小学生6名による、ひらめき型クイズ合戦であった。

 問題の中で、これはスゴイと思ったのは

●マッチ棒6本で、同じ大きさの正三角形を4つ作れ

の解答。この超有名問題は、私のようなパズル好き人間にとっては、考えもしないうちから「正四面体を作ればよい」という知識問題になってしまう。ところが、参加者の1名が、平面上で、4つの正三角形を作ってしまった(その別解はこんな形)。水平(面)思考というやつか。

 ところで、いよいよ決勝戦というところで、思いも寄らぬ判定ミスがあった。この判定ミスを招いた問題(3問目)というのは、要するにこういうことだ。
金貨が10枚ずつ入った袋4袋がある。
本物は1枚10グラム、偽金貨は1枚9グラム。
さて、4つの袋の中に偽金貨ばかりが入った袋がある。但し1袋とは限らない。
それぞれの袋から、何枚かコインを取り出すことができる。
バネばかりでは、コインの合計の重さを1回だけ測ることができる。
偽物の袋を確実に探し出すにはどうしたらよいか。


 この問題に対して、チャンピオンとなった男の子は、「1」、「3」、「5」、「7」枚を取り出すと答えて二着目で正解と判定された。しかしこの抜き取り方法では、8グラム不足した場合、「1+7」と「3+5」の区別がつかないので、本当は正解にはならない。そのミスは、チャンピオン決定シーン撮影後になってから発覚したということであった。

 チャンピオンとなった男の子は、1問目、2問目、および「2000円の指定席券と1800円の自由席券があるにもかかわらず、2000円払った人に指定席券が渡されたのはなぜか」というような第4問目にも正解しており、ミスジャッジのあった3問目の得点を0点としても、4問目終了時までの最高得点者であることは変わらない。最初から4問打ち切りと決めてあれば、ミスジャッジの影響は無かった。

 但し、その男の子が3問目不正解と判定されていた場合は4問目終了時では未だ「優勝確定」とはならず、5問目と6問目以降を続行した場合に他の挑戦者が逆転できる可能性が生じていた。ところが実際には、4問目終了時点で逆転のチャンスがなくなったとしてチャンピオンを決定してしまったため、番組では異例の「お詫び」シーンになった模様である。

 判定ミスを招いた問題は、冷静に考えれば、二進数の応用の問題だ。つまり、4袋を左から順にA、B、C、Dと名づけた場合、それぞれの袋に偽金貨入りであるか(=1)、本物であるか(=0)、という場合分けの可能性は、2の4乗すなわち16通りとなる。これらすべての場合は対応する4ケタの2進数で表されるから、2進数の位の数である「8枚(1000)」、「4枚(0100)」、「2枚(0010)」、「1枚(0001)」を、それぞれの袋から取り出せばよい。そして合計の重さが全部で150グラムの時は4つとも本物(←問題では「偽金貨の袋が1つ以上ある」と言っているので、実際にはすべてが本物であるというケースは除外されている)、それより少ない時は、不足分の重さに対応して、偽金貨の入った袋が分かるようになる。例えば、143グラムであった時は7グラムの不足、つまり7枚の偽金貨が含まれている。「7」は二進数では「0111」と表されるので、B、C、Dの3袋が偽金貨袋であることが自動的に判明する。

 袋の中にもっとたくさんの金貨が入っているならば、三進数に対応する「27枚」、「9枚」、「3枚」、「1枚」でもよいし、十進数に対応する「千枚」、「百枚」、「十枚」、「一枚」でもよい。しかしとにかく「1枚」、「3枚」、「5枚」、「7枚」では正解にはなりえない。

 TVチャンピオンは番組が始まった頃からずっと見ているが、決勝戦の一番重要な場面でこのようなミスがあったというのは、私自身の記憶には無い。




不可解な侵入事件

 7月28日のローカルニュースで不可解な事件が報じられていた。翌日の新聞記事なども参照すると、こんな内容である。
  • 水島署刑事2課の40歳代の男性警部補が、25日午後6時50分ごろ、倉敷市玉島道越の同市西部最終処分場に塀を乗り越えて侵入した疑い。近く書類送検されることが28日わかった。
  • 警備会社の警備員が敷地内でこの男を見つけたが、逃走したため110番通報。
  • 当時、施設のそばに男女が乗った車が止まっており、警部補は「車内の様子を見るために敷地に入った」と供述しているという。
  • 警部補はこの日は非番であった。
 ローカルニュースでこのことが伝えられた時、私が真っ先に疑問に思ったのは、なぜ最終処分場に塀を乗り越えて侵入する必要があったのか、という点だ。他人の家に侵入するなら金品目的の空き巣、女性の部屋なら性犯罪ということになろうが、なにゆえに、非番の日の夕刻、わざわざ最終処分場の塀を乗り越える必要があったのだろうか。私の知る限り、最終処分場には盗まれて困るようなゴミは持ち込まれていないはずである。

 さらに不可解なのは、最終処分場には警備員が巡回しており、110番通報したということ。そりゃ、不審者の侵入は誰だって歓迎しないが、最終処分場でなぜそのように厳重に警戒する必要があったのだろうか。

 「施設のそばに男女」とあるが、これも妙だ。まだ明るい時間に、最終処分場のすぐ横でデートをするカップルが居るだろうか。

 テレビや新聞は、何か重大な情報を隠しているのだろうか。

【思ったこと】
_40729(木)[心理]「活きる」ための心理学(17)小学校の運動会、受験競争

 自治体主催の生涯学習講座の4回目(7月24日実施)の講義メモの続き。

 昨日の日記にも述べたように、競争原理は人間行動をダイレクトに制御する要因にはならない。したがって、競争原理が良いか悪いかということは二者択一的には論じられない。人間行動をコントロールしているのは、競争「原理」の中に含まれている随伴性のセットなのである。そのセットが、望ましい行動についての努力の量や質を適切に評価するものである時には、競争「原理」は肯定されるであろうし、逆に、望ましくない行動を強化したり、あるいは、努力が全く無い状況でただ単に競争だけをさせるのであれば、競争「原理」は否定されるべきものとなるだろう。

 一例として、小学校の運動会がある。

 「悪しき平等主義」の弊害から、一部の小学校では、競争競技そのものを無くしたり、わざと、できレースを仕組んだりするが、これでは、努力は報われない。

 しかし、その一方、日々の練習を殆どせずに、ぶっつけ本番でリレー競走などやっても、足の速い子、体格の良い子が有利になるのは目に見えている。

 つまり、前者では、競争をなくすことで「努力への報い」を否定し、後者では、努力の機会そのものを排除しているという点で間違っていると思う。

 ではどうすればよいのか。それには
  • まずは、努力の量と質が報われる仕組みを保障すること。
  • その上で適度の競争的環境を作ること。
  • 結果ばかりでなく、プロセスも適正に評価しあうこと。
  • 体格や性差や障害の有無など、同じ努力をしても明らかに有利不利が想定されるような状況では、体重別、男女別というように、公平な競争区分をつくる。
  • 競争の種類を多様にし、どの個人も1つくらいは得意種目が見つけられるようにする。
というように配慮すれば、運動会に競争「原理」を持ち込むことは大いに意義がある。

 同じ議論は受験競争についても言える。なお、受験勉強については、行動分析学会ニューズレターで、和田秀樹氏の『受験勉強は子どもを救う』の書評を書いたことがある。そちらを参照されたい。

 次回に続く。