じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 7月31日付けの日記で、NHK総合とNHK教育が同じ時間帯に異なる内容のラジオ体操を同時に放送していたと書いた。その際、毎週土曜日の昼には、全く同じ時刻に、同じタレントのお顔が2つの局から流れていると書いたが、その証拠写真の撮影に成功。左側がNHK「バラエティー生活笑百科」、右側がOHK(KTV系)の「快傑えみちゃんねる」。我が家のテレビ画像キャプチャ機能を利用して、2局の放送内容を画面に同時表示したもの。上沼恵美子ファン(←私はファンではない。念のため。)はどちらの番組を視るのだろうか。


8月7日(土)

【ちょっと思ったこと】

盆踊りの夜に雷雨

 8月7日は、近くの小学校で町内会主催の盆踊りがあった。この日は、最低気温26.1度、最高気温35.1度、20時になってもまだ30度以上という蒸し暑さであったが、会場周辺は多くの人たちで賑わっていた。

 ところが、20時半頃から、西の空が時々、昼間のように明るく光り、稲妻が見える。これはヤバイかなあと思っていたところ、ちょうど、夕食後の散歩を終えたところで、雨が激しく降ってきた。総雨量はわずか1ミリにすぎなかったが、関係者は相当に苦労されたことと思う。

 ちなみに、この日の夜は、倉敷では20時台に20ミリの激しい雨が降ったようだ。あの稲光の発信地は倉敷方面の空だったようだ。

 雷雨のあとは涼しくなるはずだが、岡山ではいっこうに蒸し暑さが消えず、8月8日の朝は26度台の熱帯夜が続いた()。真冬の南半球への旅行が待ち遠しいこの頃である。

8/8追記]
8月8日の最低気温は25.5度まで下がった。なお11時台から12時台に激しい雷雨があり、合計雨量は28ミリにのぼった。
【思ったこと】
_40807(金)[一般]映画には、癒しの大自然やメルヘンチックな景色が必要/RPGと映画の「目的」は質的に異なる

 昨日の日記で取り上げた、映画「ファイナルファンタジー」(FINAL FANTASY、2001年・アメリカ/日本合作)を最後まで観た。映画評論などは私の柄ではないが、素人なりに感じたことをいくつか。

 まず、昨日も書いたように、非常に目が疲れた。食事時などに何度かわけて観たにもかかわらずである。映画館で通して観たら大変であろうと思った。

 それから、全体的を通して黒の背景が多く、暗い感じがした。おそらく本物の宇宙というのはああいう景色なんだろうが、映画では、やはり、癒しの大自然やメルヘンチックな景色が挿入されていないとくたびれる。宮崎駿監督の作品は、どれも皆、自然が美しく描かれている。戦闘シーンの多い、あのロードオブザリングでさえ、のどかなホビットの村や、ニュージーランドの大自然が心を和ませてくれる。残念ながら、この映画「FF」では、緑いっぱいの大自然は、ほんの1カット(2カットだったかもしれない)しか現れてこなかった。

 この映画のテーマは「ガイア」ということにあったと思われるが、であるならば、もっと、地球の大自然、地球のあらゆる生命体の美しさ、素晴らしさというものをどこかで描くべきであった。RPGのFFだって、各所にのどかな村がある。ところが、この映画は、大部分が、敵と戦ったり逃れたりするシーンで占められていたのである。




 この映画を観て、ロールプレイングのゲームとしての「目的」と、映画の主人公の「目的」への共感・感動は、明らかに質が異なるということを改めて感じた。

 映画で描かれる目的というのは、それなりの必然性があり、主人公は苦難と闘い、自己を犠牲にしながらそれを達成しようとする。映像から伝えられるそのプロセスが観客に感動を与える。

 一方、ロールプレイングゲームの「目的」というのは、実は何でもいい。主人公への感情移入などというが、実際は、自分が主人公に成り代わって、働きかけをするから熱中できるのだ。6月29日の日記の最後の部分に書いたことをゲームに当てはめるならば、RPGにおいて「目的」を設定するということは、目標を達成すること自体よりも、そのプロセス、つまり、プレイをするなかでの努力の蓄積自体に意味がある。目的がなければ、個々の戦闘シーンは、単発的、断片的な勝利にすぎず、すぐに飽きてしまう。目的があることで、勝利の積み重ねは経験値増加、マジカルポイント上昇、高価なアイテムゲットという形で、累積的な価値をもたらすことになるのだ。




 ということで、素人なりにいくつか感想を述べてみた次第だが、ストーリーはともかく、CG映画制作のために結集された知恵と努力は、いつかどこかで報われる日が来るはず。制作に携わった関係者各位の今後の復活とご発展をお祈りしたい。