じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
この2日間、岡山ではやっと晴天が戻り、朝食前の散歩時に美しい空が眺められるようになった。写真左は、9月25日の日記でも取り上げた「謎の光のスジ」。前回目撃したのは5時52分頃であったが、今回は6時2分。たぶん、この時間、毎日複数の航空機が飛んでおり、日の出の少し前の一定の時間帯に飛ぶ便の飛行機雲が、このように見えるのだと思う。
10月13日朝5時50分頃にはまた、月齢28.3の月が、金星の3分の1ほどの高さに細い糸のように見えた。金星より遥かに暗く、デジカメではとうてい撮影できなかった。写真右は、その前日、月齢27.3の時に撮影したもの。なお、10月14日の午前中には、部分日食が見られる。今回の日食は九州南部を南限界線が通っており、九州北部や中国・四国地方ではスレスレで殆ど欠けたようには見えない。釧路や稚内では4割以上欠けるようだ。 |
【ちょっと思ったこと】
今年最大の台風「トカゲ」発生か? 地球温暖化による気象変化の前触れと言うべきか、次々と台風が上陸してうんざりさせられるこの頃であるが、南の海には早くも巨大な渦巻きが形成されている(10月13日6時現在)。次の台風23号の発生が発表されるのは時間の問題ではないかと思う[※]。 さて、次の台風23号が発生した場合のアジア名だが、こちらのリストの117番目の「トカゲ」という名前がつけられることがすでに決まっている。「トカゲ」は見ての通りの日本語。なぜこんなケッタイな名前かと言えば、日本からのリストは一貫して星座名を挙げているためである。つまり、爬虫類のトカゲではなく、とかげ座のトカゲなのだ。 リンク先にもあるように、とかげ座は、はくちょう座とアンドロメダ座の間あたりある。中学の頃に「地学・天文・気象」のサークルに入っていた私であるが、とかげ座がどこにあるかを知ったのはヘールボップ彗星が日本に接近した時であった。たぶんこの中の写真のどこかに、とかげ座の星が写っているはずだ。 さて、例年であれば、この時期の台風は強い偏西風に流されて日本にはやってこない。しかし前回の22号の時にも述べたように、今年は何が起こるか分からない。太平洋の高気圧が踏ん張って、南西から北東方向に雲が流れ込むような気圧配置になれば、ひょっとして、またまた上陸というコースをとることもあり得る。先日の22号は中心気圧が低いために今年「最強」と言われたが、大きさは中型であった。今回発生しそうな23号は、強さは不明だが、雲の渦の大きさはどうやら「最大」になりそうな予感。 [※10/13追記] 気象庁は13日午前9時、マリアナ諸島付近にあった熱帯低気圧が台風23号に変わったと発表した。中心気圧は994ヘクトパスカル。気象衛星画像では、すでに、日本列島がすっぽり入るくらいの巨大な渦になっている。 |
【思ったこと】 _41012(火)[心理]血液型差別番組を考える(9)「ごく僅かの差」と、努力で変えられること 昨日の続き。10月6日の日記で述べたように、ひとくちに「血液型による性格の違い」と言っても (1)統計的には有意であるが実用的には役に立たない程度の僅かな差。 (2)実用的価値があるほどの顕著な差。 という2つでは、扱い方は大きく変わってくる。 (1)のレベルの研究は学術的には意味がある。大いに研究すればいいと思う。しかし(1)を誇大解釈して(2)のレベルにあてはめようとすると、先入観や偏見を形成する恐れが大きい。血液型と相性の関係などはどうみても(2)に属するものであり、軽々しく口にできる話題ではないと思う。 さて、今回は少し視点を変えて、我々は「ごく僅かの差」にどう向き合うべきなのか考えてみたいと思う。 例えばタバコの害を説くときに、「喫煙者がXという病気に罹る確率は、非喫煙者の3倍である」というと大きな差に見える。ところが、そもそも、Xという病気に罹る確率が1000人に1人程度だったとすると、タバコを吸うことによる危険率の増加は0.1%〜0.2%程度ということになる。喫煙者の中には、確率が絶対的に小さいことを理由にタバコを止めない人がいる。食品添加物の発ガン性、大気中の有害物質、あるいはBSEの危険性なども同様である。危険性は、ごく僅かな確率にすぎない。 では、「ごく僅かな影響」であるなら無視してよいのだろうか。結局のところ、この問題は、 (a)それを考慮した場合のメリット、デメリット (b)それを無視した場合のメリット、デメリット (c)努力によって変えられる要因であるか という3点によって決まってくるように思う。 タバコの危険性は、絶対的な確率の大きさから言えばごく僅かかもしれないが、努力すれば(=禁煙)、取り除くことができる。その一方、タバコを続けることによるメリットは全く無い。 食品添加物の場合も同様で、特に着色剤や発色剤のようなものは、それが無かったからといって何も困ることはない。 このようなケースでは「ごく僅かな影響」でも考慮に値する。改善のために努力するのも当然であろうと思う。 いっぽう「血液型」の場合はどうか。少なくとも言えるのは、血液型は我々の努力によっては変えられないということ。また、それを考慮した場合のデメリット(=差別、偏見など)は非常に大きく、かつ、それを無視した場合のデメリットはほとんど無い(←輸血の場合はもちろん別!)という特徴がある。上記(1)のレベルの議論は大いに結構だが、私には(2)にアップグレードすべき理由が全く見いだせない。 次回に続く。 |