じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] [今日の写真]  厳しい寒さに耐えながら咲き続けるバラの花と、花束のバラの花。前者は、殆ど目に触れることなく、マイペースを守りながらしぶとく生きながらえる。後者は派手であり人々の目を楽しませてくれるが、すでに切り取られているために、じきに枯れる。なんだか、人生の2つのタイプを象徴しているみたい。


2月27日(日)

【ちょっと思ったこと】

スペシャルオリンピックス

 知的障害者のスポーツの祭典「スペシャルオリンピックス冬季世界大会」が2月26日から8日間の日程で開催されている。パラリンピックについては2004年9月21日の日記で調べたことがあったが、スペシャルオリンピックスのことはこれまで殆ど聞いたことが無かった。

 さっそくGoogleで検索したところ、こちらに詳しい説明があった。私の疑問の1つであった、なぜ「オリンピックス」というように複数形になっているのかという点については、
スペシャルオリンピックスと名称が複数形なのは、日常的なトレーニングから世界大会にいたるまで、いつでも、世界中のどこかで、この活動が行われているからです。
ということだそうだ。このほか
などがヒットした。

 なおこちらの解説によれば、
日本では、1980年に「日本スペシャルオリンピックス委員会(JSOC)」が世界大会に選手を派遣していましたが、1992年に委員会が解散しました。
ということである。こちらの記事によれば、「活動がなかなか根付かず、運営は厳しさを極め、」というのが解散の原因であったようだ。現在の日本のスペシャルオリンピックスは1994年に設立され、2001年5月に認証を受けたNPO法人「スペシャルオリンピックス日本」が活動を支えているということだ。

【思ったこと】
_50227(日)[心理]高齢者福祉における「過去」の活かし方

 3月10日に、大阪でダイバージョナルセラピー関連の研修会があり、私も講師をつとめることになっている。時間的制約もあるので、講義内容は、こちらの本で私が担当した節に関連して、
  • 高齢者の生きがいの前提と特色について原則に立ち返って考える
  • 「やる気」が起こらないのは、能動的な働きかけに適切に結果が伴わないことにある点を理解する
  • 自立は最終目的ではなく、「能動」の実現の場であることを理解する
といった点を説明することになる。

 この準備を進めているなかで最近思うのは、高齢者の生きがいにおいて「過去」の視点をどう取り込むかということだ。

 向老期の私自身も最近感じることであるが、歳を取るごとに、足腰は減退、また、新しいことを学ぶ力が急速に衰えてくる。これだけでは縮小再生産であって自己嫌悪に陥るばかりだ。しかし、過去の体験の蓄積だけは歳を取るごとに着実に増えるものだ。

 もちろん過去の体験のすべてが成功というわけではない。辛い体験や悲しい出来事も多々ある。失敗体験についても、それを克服できた場合もあるし、挫折して妥協した場合もある。しかしどっちにしても今の自分は、過去の体験の蓄積の中でできあがっているわけだから、それを活かさないという手はない。

 より具体的には、自己の体験を次の世代に伝えるという積極的な行動のほか、自分の考えをまとめるにあたって、過去に得た知識や、かつて考えたアイデアなどを参照するという、「内部的」な活用が考えられる。Web日記に記すこと、雑学データベースを作ること、写真アルバムのデジタル化を目ざすことなどもこれに含まれる。

 直接活用はできないが、過去の成功体験を懐かしむことにもそれなりの意義があるだろう。但し、あまり度が過ぎると、うぬぼれ、自画自賛に陥ってしまって、周囲から相手にされなくなってしまう。

 問題となるのは、痴呆(認知症)が進んで、過去の体験記憶が錯乱してしまった時の対応である。特に妄想やネガティブな記憶錯誤(誤記憶、偽記憶)は第三者に迷惑を及ぼす。その場合には、むしろ、過去よりも現在を最優先し、現在の生活環境の中での能動的行動が報われるような最大限の配慮が求められる。ダイバージョナルセラピーの「diversional」にはもともと「気晴らし」という意味があり、おそらくそういうことを含むものと解釈できる。