じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 車の屋根の上の猫。エンジンの熱で暖まっているボンネットの上ならともかく、車の屋根の上は相当寒いのではないかと思われるが、よっぽど気に入っているのだろう。


3月5日(土)

【思ったこと】
_50305(土)[教育]大学コンソーシアム京都 「評価される大学教育」(1)猪口邦子氏の基調講演(1)

 3月5日・6日に行われた

●大学コンソーシアム京都 第10回FDフォーラム 「評価される大学教育」

に参加し、6日の夕刻に岡山に戻ってきた。

1日目は、猪口邦子氏の基調講演『21世紀国際社会と日本の大学の使命』と、シンポジウム『誰のための評価?』。会場は同志社大学の寒梅館。大ホールはほぼ満員の盛況ぶり。京都におけるFD活動の水準の高さと、コンソーシアムの活動の活発さが感じられた。

 基調講演者の猪口氏は1975年に上智大学をご卒業、エール大学で政治博士号を取得され、その後上智大学教授をつとめておられるが、2002年から2004年の間は軍縮会議日本政府代表部特命全権大使、軍縮会議議長を歴任されている。私自身も1975年に学部卒なので、たぶん同じ世代ではないかと拝察されるが、まずは氏の輝かしい御履歴に恐れ入ってしまう。

 以下、ご講演の中で特に印象に残ったことを備忘録代わりに記しておくことにしたい【すべて、長谷川の理解と記憶に基づく記述】。

 まず、「人は能力が乏しい」、=「自分の経験した世界を超えることができない」という前提に立ち、そのバリアを突破するのが教育であるという位置づけであった。では、そのためにはどうするか? 軍縮会議の場に即して言えば、被害者の生の声を聴くということがいちばん重みをもつ。じっさい軍縮会議に出てくるような各国政府のお偉方は、現場の悲劇を抽象的にしか理解していない場合が多い。統計的な数字ばかりをで抽象的に「理解」していたのでは行動には結びつかない。地雷撤去であれ、災害復興支援であれ、食糧援助であれ、とにかく、現場から上がってくる生の声に虚心に耳を傾け、理解を共有した上で対策を検討していくという姿勢が求められる。授業もそれと同様であると理解した。

 いま述べたことには、政治学に固有の特徴も含まれていると思うが、とにかく高等教育においては、まずは、受講生各自の個人的な体験のバリアーを突破し、自分が経験していない世界をimagineさせることが大切である、というご趣旨であると理解した。

 もっとも、高等教育となると、単に他者の経験をimagineするだけにはとどまらない。猪口氏は、この点について
  • 体系をきっちり示すこと。授業は体系のフルコースでなければならない。
  • 教授者は最先端の研究者であること、もしくは最先端の研究をしていなくても、最先端についての理解者、読者であることが必要。
という点を強調しておられた。

 第二は授業のスタイルに関するものだった。猪口氏は特に「読ませる」ことの大切さを強調しておられた。シラバスで大切なのは、毎回の授業の必読文献がちゃんと示されていることだという。毎回の授業に必要な読書量は1000ページにも及ぶ。学生は、シラバスで紹介された書籍等を図書館に探しに行く。図書館のreserve shelfにはそれらの本が必ず用意されており(←つまり貸し出し中にはなっていない)、これをその場で2時間以内に読まなければならない。授業と図書館とdormitoryをを移動しながら生活するというのが理想的な勉学生活ということになる。

 第二の点に関して、個々の教員が大量の課題を課すと学生にとっては過大な負担になってしまうのではないかという質問も出された。この点については、他の先生のことはあまり気にしなくていい、とにかく、大学改革の究極の具体化は

●きょう私のやる授業が日本一

ということにある、というお答えであった。確かに、いくら制度やカリキュラムをいじったところで、授業そのものの質が確保されていなければ改革とは言えまい。

 このほか、パワーポイントの使い方、受講生からの質問の受け方、英語を上手に使えるようになる秘訣などに関して貴重なお話を伺ったが、時間が無くなったので次回に。