じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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[今日の写真] 農学部農場内のストロベリーキャンドル。後ろは半田山。高原風のアングルで撮影してみた。


4月26日(火)

【思ったこと】
_50426(火)[教育]中山文科相の教育観(2)競争原理の本質

 4月24日の日記に引き続いて、中山成彬・文科相のインタビュー記事に関して感想を述べさせていただく。なお、ここに記すことは、あくまで、インタビューで言及された話題についての感想であって、文科相ご自身の教育観を詳しく調べた上でご進言申し上げるという意図は全く無い点をあらかじめお断りしておく。

 さて、4月24日の朝日新聞掲載の「ニュースに迫る 中山文科相の教育観」と題するインタビュー記事では、競争心で「勝ち組」体現という見出しのほか
  • 今までの教育に競い合う心や切磋琢磨する精神が欠けている
  • のんべんだらりとやっていけばいいの? 自分とも競い合い、自分とも切瑳琢磨していくことは大事だと思う
  • 私は競争意識を助長するつもりは全くない。競い合って頑張る精神でないと、孫の時代が大変だなと思う。
  • 世界は国際的な「知」の大競争時代。国家戦略としての教育改革が重要だ。このままでは日本は東洋の老小国になる。
  • 競争は悪だとしてきたが、社会に出ると競争社会で子どもが落差にとまどう。こういう今までの教育は、二一トなどの予備軍の「大量生産」に手を貸しているのではないか。
というように、中山氏の語録の中からは、競争を肯定的にとらえようとする姿勢が強く打ち出されているような印象を受ける。




 「競争原理」については、このWeb日記にも何度か言及しているほか、

スキナー以後の行動分析学(8):21世紀に行動分析をどう活かすか〜介護、福祉、校内暴力、英語教育、競争原理〜を中心に

という拙論の中でも基本的考えを述べたことがある。要するに、「競争原理」は人間行動を直接コントロールする原理ではない。「競争」という場には、行動を望ましい方向に活性化する要因が複数含まれている一方、弊害となる要因も同時に関与している。従って、「競争原理は良いか悪いか」という二者択一型の議論は無意味であり、むしろ、「競争」の良い面だけをどう取り込んでいくのかという部分に注意を向けることのほうがはるかに生産的である、というのが私の主張である。

 では、競争という場を設定すると実際にはどのようなメリットがあるのだろうか。これについては、
  1. 努力した場合としなかった場合の違いが明確になる
  2. 努力の質と量に応じて結果が伴う。
  3. それぞれの段階で、成果の進捗状況が把握できる。
  4. 相対評価を受けることで、どの程度努力すればどのくらいの水準に位置するのかが分かる。
という4点を挙げることができるのではないかと思う。

 まず、1.について。競争が無い場面では、少々怠けても、また多少頑張っても、その違いは直ちには見えてこない。いっぽう、模試の成績はもちろん、スポーツ、企業の売り上げなど見れば分かるように、競争のある場面では、ちょっとでも努力を怠るとたちまち悪い方向に変化してしまう。弛まぬ努力を維持するためには、適度の競争は良い励みとなる。

 次に2.であるが、世の中には、努力してもそう簡単には報われないことが多い。また、時には、目に見える形の結果が得られにくい場合もある。そのような時に、競争を導入して、順位争いや優勝争いという具体的な結果を付加してやれば、それを目標として行動計画を立てることができる。

 いっぽう、3.や4.は、進捗状況の指標として有用性である。順位や優勝にこだわらない人でも、自分が周りの人たちと比べてどの程度頑張っているのか、を知ることは励みにもなる。相対的に遅れている人はそれを取り戻そうと頑張るし、進んでいる人もなんとかそれを維持しようと頑張る。




 競争原理のいちばん重要な性質は、相対的評価のもとで、「〜すれば現状が好転、もしくは維持される。〜しないと現状が失われる。」という結果を付与することにある。このことによって、望ましい行動が活性化できる限りにおいては、競争は必ずしも悪者とは言えない。

 いっぽう、生物の進化からのアナロジーとして競争原理の必要性を説くことには危険が伴う。このロジックではしばしば、成功者(勝者)のみを過大評価してしまう恐れがあるからだ。また、競争原理がうまく働くのは、資源が無限にある開拓地のような場面であって、持続可能な共生社会を維持していく必要がある場合には適さないこともある。さらには、個体間の競争と集団間の競争(「プロジェクトX」などの番組を視れば分かるように、集団間の競争社会にあっても、組織内部が競争的状態にあるとは限らない)を区別していくという視点も大切である。

 ということで次回に続く。