じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] [今日の写真] ラムズイヤー(左)とシロタエギク(右)。どちらも全体に白っぽく、緑の中で目立っている。いずれも葉や茎に鑑賞価値があるが、この時期には比較的地味な花を咲かせる。
左の写真の奥の建物は文学部。右の写真に写っている手すりは文学部の西出入口。


5月30日(月)

【ちょっと思ったこと】

元大関・貴ノ花死去

 元大関貴ノ花の二子山親方が30日、口腔底がんで死去された。55歳。

 貴ノ花は私が学部、大学院の頃の人気力士であり、今でもいくつかの名勝負を思い出すことができる。昭和50年の春場所千秋楽の時は、スキーツアーの帰りであった。バスの中でラジオ放送が流され、初優勝が決まった瞬間には大歓声が上がった。あの当時は、それだけ大相撲に関心が寄せられていた。粘り強い足腰に定評があったが、負傷や内臓疾患にも苦しめられ、横綱昇進はかなわなかった。関取名鑑を見ると、「花田→貴ノ花→貴乃花→貴ノ花」と改名されているほか、名前のほうも「満→利章→利彰→満郎→健士→利彰」と変遷している。改名が多かったのは、ご病気や怪我への気遣いのあらわれだろうか。

 力士としての功績のほか、2横綱1大関を育て上げるなど、親方としての力士養成の功績も大きかったと思う。貴ノ花は、引退後島を襲名して藤島部屋を開き、その後、実兄である元若乃花の二子山が定年を迎えると名跡を二子山に変更、二子山部屋と藤島部屋は合併した。合併した平成5年3月場所には、旧藤島部屋からは、新大関貴花田改め貴ノ花、関脇安芸ノ島、小結若花田、幕内貴ノ浪、豊ノ海、貴闘力の6人、旧二子山部屋からは小結若翔洋、幕内三杉里、隆三杉、浪ノ花の4人、合計で、幕内10人という大勢力を誇った。しかし、平成16年2月1日付けで、貴乃花親方が二子山部屋を受け継いで「貴乃花部屋」がスタートしたことにより、現在は、二子山部屋は存在していない。

 私個人は、あの当時は、旭國のほうを応援していた。ネットで調べると、旭國が昭和44年7月初入幕で昭和51年5月に大関昇進(〜54年9月)、いっぽう貴ノ花のほうは昭和43年11月初入幕で昭和47年11月に大関(〜56年1月)となっており、同時代に競い合っていたことは間違いないのだが、不思議なことに、ライバルとしては取り上げられたことはあまり無かったように思う。

 ご冥福をお祈りします。




オルポート違いで恥をかく

 学部の演習で、ある学生がオルポートのことを紹介した。オルポートというのは、パーソナリティの量的研究、流言の研究など数々の業績を残しており、20世紀に活躍した著名な心理学者の一人(APA)に挙げられている。

 学生の発表が終わったあと、私の方で「オルポートと言えば、“集団錯誤”として集団心を排したことでも知られていますね」などとコメントしたが、じつは、学生が紹介したオルポートは

●Allport,Gordon.Willard(1897-1967)

いっぽう、“集団錯誤(group fallacy)”を主張したのは、その兄の

●Allport,Floyd.Henry(1890-1978)

であった。心理学の教員として、まことにみっともない恥を晒してしまった。そればかりか、“機能的自律性(functional autonomy)」の「自律」を「自立」と間違えてしまった。おおっ、恥ずかしい。

 もっとも、学生のほうもいろいろなミスをしている。「対連合」を「たいれんごう(→ついれんごう)」、「疾病」を「しつびょう(→しっぺい)」、「内省」を「ないしょう(→ないせい)」、「前意識」を「まえいしき(→ぜんいしき)」などと読まれるとドキッとする。といって、私も、誤変換はしょっちゅうやるし、熟語の読み間違いも皆無とは言えない。学生のミスは勉学途上の未熟さの反映であるが、教員のミスは職務怠慢(→もしくは、老化による物忘れ)としか言いようがない。恥をかかないように気をつけなければ,,,。