じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
鳥海山・鉾立で見た花。関東以西では3月〜5月に別々に咲くはずのコブシとサクラとツツジの花を同時に見ることができた(6月4日の朝撮影)。
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【思ったこと】 _50605(日)[心理]人と植物の関係を考える(3)裏山と屋敷林 6月4日に開催された人間・植物関係学会鶴岡大会の1日目の行事「人と木のつきあいは時を超えて」の感想の続き。 2番目の話題提供0 ●東北芸術工科大学教授・東北文化研究センター所長・赤坂憲雄氏:屋敷林のフォークロア〜人との関わりから見えてくるもの〜 は、なかなか示唆に富むお話であった。昨日も引用したように、東北を訪れる人々はしばしば「開発の手が及ばない雄大な大自然が残っていて素晴らしいですね」などと感想を述べる。しかし、じつは、森の大部分は原生林ではなく、文化の表現である。 かつて柳田国男は「風景は人間が植えたもの」と語ったという。宮本常一はさらに「風景は人が作る」と言われたという(←いずれも長谷川の聞き取りのため不確か)。じっさい、武蔵野なども、かつては荒野であった。玉川上水が引かれ、耕作がすすみ、屋敷林ができ、今となっては懐かしい風景が形作られた。 赤坂氏はまた、同僚の森繁哉氏の論文なども引用しながら、「背戸の山」、「山坪」、「裏山」における人間と山との関わりを語っておられた。裏山というのは山菜の貯蔵庫でもあり、裏山のある場所が家を建てる場所としては一等地であった。そして、後に平地に家を建てるようになってからは、裏山の自然を取り込むための屋敷林が形成された。つまりもともとそこにあった林ではなく、多様な樹種が植えられ、時には神聖な場所としてあがめられるようになった、というようなお話であった。 このお話を伺った後、私も車窓から屋敷林を注意深く眺めるようになった。今では昔ながらの姿をとどめているところは少ないと思われるが、それでも、ちょうど田植えの終わったばかりの水田のなかに、点々と集落があり、そこにいろいろな木が植えられていることに気付く。たしかにそこには、「時を超えた」人と木のつきあいがあるように見えた。 次回に続く。 |