じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
大学構内のセイタカアワダチソウ。悪質な雑草の1つとして嫌われやすいが、こちらの解説によれば、この植物は蜜源植物として優秀であり、花粉を風に乗せてばらまく植物(風媒花)ではないので花粉症の原因にもならないそうだ。
空き地では純群落を形成して繁茂するが、いずれ少数派になり目立たなくなる。写真右は、セイタカアワダチソウが敗退しつつある雑草地帯。 |
【思ったこと】 _51023(日)[心理]男女を比較することの難しさ 先日のゼミの文献紹介発表の中に、若者300人の不安と自尊感情を質問紙調査した研究があった。その研究では、 という結果が報告されていたが、この種の「性差」というのは解釈が難しいし、また、結果が一人歩きしてしまう恐れがあると思った。 まず、性差以前の議論として、不安や自尊感情が質問紙でどこまで測れるのかという問題がある。もちろん尺度(→何かを測る物差し)を作る際には、ちゃんとした統計的手順を踏んでいるものとは思う。しかし、その手続だけでは、内容的な妥当性が保証されたわけではない。何かを測っていることは確かなのだが、「不安」や「自尊感情」と言われる内容のすべてを捉えているのではなく、そのうちの測れる部分だけを抜き出して測っていると言えないこともない。 次に問題となるのが、男女で比較することである。上記で「男性の自尊感情のほうが高い」という結果になっているが、こういう比較ができるのは、男性と女性の自尊感情を同じ物差しで測れるという保証、および男女の自尊感情には質的差異はないという前提が必要となる。 ゼミの時にも例に挙げたのだが、例えば、ためしてガッテン放送記録に、内臓脂肪が沢山貯まっていて危険な目安は ●ウエスト 男性は85センチ以上 女性は90センチ以上 などと放送されたことがあった。このほか職員定期健診の時に参考情報として伝えられる正常値の範囲も男女で異なっていることが多い。 ウエストの男女差などというのは、身体の仕組みの違いを反映しているようなものだから、一般的に男性と女性でどっちが太いかなどということを比較しても殆ど意味が無いことになる。「不安」や「自尊感情」も、おそらくそういう生理的メカニズムの違いによって質的な差異をもたらしているはずだ。加えて、それぞれの社会・文化の後天的に形成される性差(ジェンダー)もあれば、職種や人間関係の違いも反映する。となるとますます、少数の物差しの数値だけで男女の差を比較することはあまり意味が無く、むしろ結果だけが一人歩きして誤解をもたらす原因になるように思う。 |