じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
農学部・東西通りの銀杏並木。南北通りの銀杏は完全に黄葉して葉が落ち始めているが、東西方向は樹木に日が当たる時間が長いためだろう。まだまだ、黄緑色の葉が混じっている。
|
【思ったこと】 _51120(日)[心理]加齢の空しさにどう立ち向かうか(1) 少し前の話題になるが、11月18日のSankei Webに ●最も幸せな日本人像は 30代、都会暮らし、専業主婦高齢者ほど「不幸」 阪大教授ら概念数値化 という記事があった。 「30代、都会暮らし、専業主婦」が日本人の中でいちばん「幸福」なのかどうかはさらに分析していく必要があると思うが、“高齢者ほど「不幸」”という部分は、定年まであと12年余りの私にとっても少々気になるところである。 もっとも、“高齢者ほど「不幸」”という根拠は 年齢別では三十代(平均値六・六点)が最も高く、次に二十代(六・四)が続いたが、四十代以降は加齢とともに不幸になり、六十代では六・二点に落ち込んだ。この結果は、海外の大学が行った調査と比べると逆の現象。アメリカやイギリス、ドイツでは三十歳代が最低で加齢とともに幸福度が増しており、若者に甘く高齢者に厳しい日本社会の傾向を表したともいえる。というデータにあるようだが、「非常に幸福」を十点、「非常に不幸」を〇点として評定していることからみて、60歳代平均が6.2点というのはそんなに不幸ではないようにも見える。30歳代の6.6点より0.4点マイナスというのも極端な落ち込みではない。生データを見ないと何とも言えないが、 ●60歳代では、30歳代からの幸福を維持している人たちがいる反面、「不幸」になってしまった人の比率が増加し、全体の平均値を押し下げている と解釈したほうが良さそうにも見える。 以上見てきたように、“高齢者ほど「不幸」”という見出しは必ずしも当たっていない。しかし少なくとも、“加齢とともに幸福度が増すことはない"という程度のことは言えるのではないかと思う。ではどうして、幸福度は増えていかないのだろうか? この日記でもしばしば引用している社会構成主義の見方をすれば、どうやら、この原因は、個人主義的な人生観にあるようだ。このことは別の連載で詳しく述べるとして、とにかく、個人中心で幸福度を評定する限りにおいては、歳を取れば取るほど体は弱り、失われることはあっても新たに増えるものは何も無い。いま再びブームになりつつある株式投資にでも参加すれば、手持ちの資産は増えるかもしれないが、いくら数字上の「資産」が増えたところでそれを有効に活用できるカラダが無ければ何の意味も無い。いまさかんに宣伝されている各種の保険なども、「失われること」への不安をあるていど慰めてくれる効果はあっても、新たに何かを創り出してくれるものではない。知識や経験の蓄積も、いずれ知力の衰えとともに崩壊していく...。 けっきょくのところ、加齢の空しさを解決するには個人主義的人生観を一部修正して、
次回に続く。 |