じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真] 2月16日朝の梅の蕾と水滴。岡山では17日6時までの72時間積算で16.5ミリの雨が降った。農学部農場では、早咲きの梅が2株ほど花を開き始めた。


2月16日(木)

【ちょっと思ったこと】

金星最大光度

 2月17日は金星が最大光度マイナス4.6等となる。早朝の散歩時の明るさは格別だった。眼の良い人は日中でも見つけることができるとか。太陽の右側を探してみることにするか。

 早朝の散歩から戻る頃、北斗七星のあたりで流れ星を目撃。特定の流星群に由来するものではなかったようだ。

【思ったこと】
_60216(木)[心理]人生の終わりは活動理論か離脱理論か

 3回生の研究発表会で某学生が、高齢者がどのように人生を過ごすのが適応的かということに関して、活動理論と離脱理論を比較紹介していた。配付資料をそのまま引用すると、
  • 活動理論(activity theory):高齢になっても、健康面での生理的に避けられない変化を除き、社会から身を引かずに社会的な活動を続けることが生きがいにもなり適応的であるとする理論
  • 離脱理論(disengagement theory):人は老化するについて、待っている死を意識し、人間関係や活動について社会から離れていくのが自然であり適応的であるとする理論
となる。ちなみにGooglede「活動理論 離脱理論」を検索すると34万1000件もヒットする。もっとも、「理論」とは名付けられていても、特定の体系化された理論があるわけではない。私のゼミの文献リビュー(2002年度)にも紹介されているような

●継続性理論(Continuity Theory): 活動理論と離脱理論が、活動をし続けるか、あるいは社会から離脱していくかという一方通行的な観点に立って老年期の適応を説明しようとしたのとは対照的に、老年期に適応し幸福な老いを実現するにはいろいろな方向があり、それは個人のパーソナリティーに依存すると考える。

という考え方もある。さらには、社会構成主義的な観点から自己概念を見直すという作業も一考に値すると思う。




 上記のような多様な視点をふまえつつも、とりあえず2つの「理論」を比較してみるに、私自身の場合はこれまでずっと、活動理論に近い立場で生きがい論を考えてきた。行動分析学を拠り所にした生きがい論では、能動的な行動(=オペラント)がポジティブに強化されるプロセスを重視する。こちらに紹介したように、行動分析学の創始者のスキナー自身、生涯現役主義を貫いたし、行動分析学とはゼンゼン関係ないが、宇野千代さんの生き方なども、結果的に同じタイプの生き方を貫いてきたように思う。

 活動理論的はまた、団塊世代が大量に定年を迎えようとしている現代日本においても、社会的に要請される発想であるとも言える。団塊世代の多くが離脱理論的な老後を志向してしまうと少子高齢化の日本は大変なことになってしまう。




 以上述べたように私個人は活動理論の推進論者ではあるが、老化、衰退、近づく死、...をすべてイヤなこと、くい止めなければならないことと考えることには無理があると思っている。人生の本当の最期の部分、つまり寝たきりになったり、末期癌で余命何ヶ月と宣告されたような場合に、1つの選択肢として選ぶべきものかもしれない。そういう時期がいつやってくるのかは分からないし、両親やきょうだいや配偶者が先にそういう状況を迎えることもあるわけだから、その時の心構えという意味でも、離脱理論のメリットを知っておいて損はないと思う。

 それから、一口に活動理論といっても常に右上がりの向上をめざすばかりではなかろう。例えば、山登りは、頂上を目ざすときにも、頂上から下りてくる時にもそれぞれの喜びがある。人生でも、山を下りるときのプロセスをもっと肯定的に捉えるべきではないかと思う。