じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真] 2月24日早朝の金星と月齢23.8の月。このあと家に戻ったら、ちょうど荒川選手の演技の生中継が始まるところだった。まさに、金メダルを予言する輝き。


2月23日(木)

【ちょっと思ったこと】

早起きで得をすること

 イタリアと日本の時差は8時間。私が起きる時刻はだいたい5時半前後。つまり、現地の21時半ころとなるため、屋内競技のクライマックスの場面と重なることが多い。先日はまったく偶然に、井上玲奈選手と、荒川選手のショートプログラム、そして、本日は、早朝の散歩から戻ったところで荒川選手のフリーの演技を生中継で観ることができた。結果を知ってから観るのと異なり、生中継は、この先何が起こるか分からないという緊迫感があった。とにかく、最後の最後で金メダルが取れてよかったよかった。

【思ったこと】
_60223(木)[心理]事実であることはどれだけ重要か(2)

 2月21日の日記の続き。

 前回の日記で、プロジェクトXのようなノンフィクションの番組を観ると

●これは現実に起こったことだ。だから、これから先、自分自身でも起こるかもしれない。

というような、暗黙の「一般化」が行われるのではないかと書いた。そして極端に言えば、この「一般化」は

●宝くじの当選確率が1000万分の1だという話を聞いても、当たる気はしない。しかし、隣の家の人が1等を当てたという事実を知ると、何となく、自分も当たるのではないかという気になってくる。

ということと同じ効果であるとも書いた。

 しかし、人間は必ずしも、特定の事例を一般法則化した上で、「一般的に起こりやすいから自分にも起こるだろう」と考えているわけではない。

 例えば、ある事象が起こる確率が0.1%程度であった場合、普通は、そういうことは滅多に起こらないだろうと判断する。しかし、ある健康食品を摂取すれば0.1%で治るという情報は不治の病にかかった人にとっては、無視できない確率である。少し前に騒がれたキノコ系食品の不正な宣伝なども、藁にもすがりたいという患者の気持ちにつけ込んだ商法であると言うことができる。

 このように、事実であったことがどれだけ重要なのかという問題は、その事実が自分にどれだけ関わりを持っているかと大きく関係している。つまり、一般的に起こりやすいかどうかではなく、それが自分に当てはまった場合にどれだけ重要かということが問題となる。




 何が関わりのある事実なのか、ということは人それぞれで違ってくる。「冬ソナ」の物語のユジンにとっては、イ・ミニョンが誰なのか、異母兄妹なのかどうかということが重要な事実であるが、周りの人たちはむしろそのことで迷惑し、さらに、路上ですれ違う人にとってはそれはどうでもよいことの1つにすぎない。

 現実の世の中には、自分が関係ないと思っても、いずれ自分自身に関わることが確実であるような様々な事実が存在している。ダイオキシン、アスベスト、地球温暖化、核兵器開発など。さらには、アフリカで起こっている虐殺、飢餓、病気などに全く無関心でよいかという問題がある。その一方、一人の人間が関われる時間は有限であり、直面する諸問題に生涯を捧げたからといって100%関われたことにはならない。




 私がもう1つ興味を持っているのは、およそ自分とは関係の無さそうなストーリーになぜ感動するのかという問題だ。「冬ソナ」に感動したと言ったところで、私自身、別段、いまから新しい恋愛を始めようという気持ちは全く無い。荒川選手の金メダル獲得も感動的であったが、自分自身がフィギュアスケートを始めるわけではない。そういう感動のプロセスはしばしば「共感」とか「感情移入」などと言われているが、行動分析学的にはまだまだ十分に説明しきれていないように思う。次回はこのあたりを考えてみることにしたい。