じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真] ミモザ(黄色)と花桃(赤とピンク)と青空と緑の葉。これで絵の具の3原色(赤黄青)と光の3原色(赤緑青)が揃った。

4月7日(金)

【思ったこと】
_60407(金)[心理]脱アイデンティティ、モード性格、シゾフレ人間(7)

 3月16日の日記の続き。エジプト旅行のため連載を中断してしまったので、これまでに書いたことを思い出しつつ、気づいた点をいくつかメモしておくことにしたい。

 さて、脱アイデンティティ、あるいは、行動の安定性や一貫性に対する疑義自体は、以前よりそれぞれの専門領域の中で学説の1つとして提唱されてきたものであったと理解しているが、最近、日本国内では、社会学、精神医学、哲学などの専門家が一般読者向けに同趣旨の語りかけを行うようになってきた点はまことに興味深い。

 すでに挙げた
  • サトウタツヤ・渡邊芳之 (2005). 「モード性格」論-----心理学のかしこい使い方. 紀伊国屋書店. 【4314009977】
  • 上野千鶴子 [編] (2005). 脱アイデンティティ. 勁草書房.【4326653086】
のほか、
  • 河野哲也 (2006). 〈心〉はからだの外にある 「エコロジカルな私」の哲学. 日本放送出版協会.【4140910534】
  • 養老孟司 (2004).死の壁. 新潮新書 【4106100614】
といった一般向け書籍の中でも、「自分探し」、「本当の自分」、「自分は変わらない」といった素朴な前提に対する疑義が投げかけられている。

 なお、「一貫性のある自己」論議を深めるためには、これに関連した「連続性」、「主体性」、「能動性」をもう少しはっきり定義しておく必要がある。

 まず、「連続性」だが、これは数学の「連続」の定義を援用すればよいだろう。「一貫性のある自己」は、概ね、その「自己の連続性」を前提としている。要するに、肉体的にも精神的にも、「自己」は時間の流れの中で連続して変化していくのであって、ある日突然、他の動物に変身したり、別の人格に置き換わったりすることは無い、という前提のもとで議論が進められるということだ。もちろん、1人の人間の脳の異なる部分がドミナントになることで、異なる「人格」が現れるということはありうる。

 「主体性」や「能動性」についても問題を整理しておく必要があるのだが、残念ながら時間が無くなってしまった。次回に続く。