じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
奥津温泉の近くにある七色樫。昨年6月25日の日記に写真を掲載したことがある。案内サイトによれば、この樫は、
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【ちょっと思ったこと】
ダヴィンチコードの常識と意外性 映画「ダヴィンチコード」とダン・ブラウンの原作が話題になっているらしい。生協のブックショップにも特設コーナーが置かれていた。映画のほうもかなりの入場者が見込まれる一方、カトリック系団体が上映禁止処分を求めている国もあるという。 もっとも、私自身は、この問題には殆ど興味が無い。映画館まで足を運ぶつもりは全く無いし、いずれレンタル解禁になったとしてもわざわざ借りてくるつもりはない。 そもそもこの問題が世間の一部を騒がせているのは、キリスト教のある宗派にとっては当然の前提とされていることに対して、原作や映画が疑義を投げかけているためであろうと思う。例えば、イエス・キリストが、実は結婚して子孫を残しており、それを隠すために教会が数々の陰謀を巡らしてきたという内容は、キリスト教徒の一部にとっては、キリスト教や教会を侮辱するものだと受け止められて当然であろう。 しかし私のようなキリスト者でない人間から言わせてもらえば、そもそも、「キリストは神である」とか「神は実在した」といった前提そのものを受け入れていないのだから、それを覆すような発見があったと言われても別段、驚きには値しない。もちろん、キリストのモデルとなった宗教指導者が2000年前頃に実在していたことは確かだとは思う。しかしそれはあくまで1人の人間として実在していたであろうということであって、預言が当たったとか、物理法則を打ち破るような奇跡があったとか、磔刑の後に復活したというようなことは端から信じていない。実は結婚して子孫を残していたとしても別に不思議には思わない。 このことに限らないが、一般に、ある事件や新説が話題を呼ぶかどうかは、常識概念との対比でどれだけ意外性をもたらしているのかに大きく依存している。ありがちな出来事を報じたり、人々が当たり前に思っている考え方を復唱しても、誰も気にとめない。しかし、それを覆すような話題が、ある程度の確からしさを持って伝えられれば、人々はそれに飛びつく。今回の騒ぎもそういうことを背景にしているのではないかと思う。 もっとも、キリスト教の影響の少ない日本でこの映画や原作が注目を集めるというのは少々意外だ。ブームに敏感で周りの人と同じことをしたがるというタイプが多いためだろうか。いや、純粋にこの問題に関心を寄せている人たちもたくさん居られるのだろう。変化に乏しい日常環境にあって、宗教的関心とは全く独立した「謎解き」への興味、あるいはスリル・サスペンスを楽しむという目的で注目されているのかもしれない。 |