じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
田んぼに映る月齢15.3の月。夏至近くの満月は南の空低いところから照るので、水田を含んだ画面に入りやすい。この季節ならではの光景だ。
なお今月の満月は6月12日午前3時3分。同日19時31分に月の赤緯最南となる。 |
【ちょっと思ったこと】
岡山では珍しい震度4 こちらの地震情報にもあるように、6月12日の5時01分頃、大分県中部を震源とする震度5弱の地震があった。震源の深さは140km、マグニチュードは6.1と推定されている。 地震の規模は小さかったものの、瀬戸内沿岸を中心に震度4以上の地域が広がっており、岡山市でも、この地域としては珍しく強い震度4を記録した。私自身はその少し前から目が覚めていたが、「おやっ、地震かな」と感じられるような細かい揺れがしばらく続いたあと、ゆっくりとした横揺れがこれまた長く続いた。すぐにテレビのスイッチを入れたところ東京・渋谷の中継をやっていたが地震が起こっているという雰囲気ではなかった。縦揺れと横揺れの間にかなりの時間差があったことと、東京方面が無事であったことから、土佐沖〜九州・沖縄方面で大きな地震があったのでは?と推測していたところ、大分県中部が震源との速報が入ってきた。 なお、阪神淡路大震災の時の岡山市の震度は4であったが、今回よりもっと激しく揺れたように思う。平成12年の鳥取県西部地震の時は岡山市でも震度5弱を記録した。この時は、研究室の本棚が傾くなどの実質的な影響があった。 ちなみに、6月12日早朝は満月。満月と地震との関係については2005年1月24日の日記ほかに書いたことがある。こちらのデータにあるように、月齢と大地震発生はそれほど関係がなさそう。 |
【思ったこと】 _60611(日)[一般]儲けるのは悪いことか 6月5日に逮捕された村上世彰容疑者(46)は逮捕前の記者会見で 自分自身の中では誇りを持っている/きちんと自分の主義主張をやってきたと語ったことは記憶に新しい。同じ会見ではまた みなさんが僕のことを嫌いになったのは、きっとボクが、すっごい儲けたからだと思いますよというようにも語っていたという。 その後のニュースによれば、村上ファンドは、ライブドアに対して、共同してニッポン放送株を買い集めることを提案。昨年2月にフジテレビとの株争奪戦で株価が高騰しているさなかに売り抜けて30億円前後を稼いだとか。記者会見の発言内容にどこまで信憑性があるのかだんだん疑わしくなってきた。 しかし、それはそれとして、村上氏が投げかけた疑問: ●何が悪いんだろう もうけることが については、事件解明とは別に、我々一人一人が答えを用意すべき問題ではないかと思う。 私自身は、「儲ける」という行為は、一般論として良いか悪いかを論じる対象ではないと考えている。じっさい、村上氏に「儲けることは悪いことか?」と詰め寄られても、誰も「普遍的に悪い」などとは答えられないはずだ。もちろん法律を破れば悪い、これはハッキリしている。しかし世の中、法の網をくぐりぬけて儲ける機会はいくらでもあるはず。法律だけで良い/悪いと判断できるような問題でも無いように思える。 とりあえず法律問題を抜きにして考えてみた場合、儲けることは次の2つの側面から評価されるのではないかと私は思う。 (1)ゼロ和ゲームの中での儲けなのか、右上がりの価値生産に貢献する儲けなのか。 (2)儲けはどういう集団に還元されるのか。 まず(1)であるが、例えば麻雀は普通、4人のプレーヤーが持ち点3万点(←但し、トップ賞を与えるためにあらかじめ3000点〜5000点をプールするのが普通)でゲームを開始する。ゲーム終了時に、トップのプレーヤーが8万点の大儲けをしたとすると、トップが獲得したプラス5万点分に見合う損失を誰かが被らなければならない。徹夜して何回ゲームを繰り返したところで、4人のプレーヤーのプラス/マイナスはゼロのまま。4人で何かを生産するわけではない。 いっぽう畑でハクサイを育てて大儲けするという場合、生産者はもちろん儲かるが、消費者もハクサイを手にすることでそれなりの価値を手にする。小説やCDの発売で大儲けするという場合は、決して食べ物を生産するわけではないが、同じように消費者に一定の満足を与える。上に挙げた麻雀のゼロ和ゲームとは異なり、むちゃくちゃもうける人が登場したおかげで、その周りの人も何かを手にしたり、楽しんだりすることができる。この場合は、偏屈な「妬み」はあり得ても、儲けすぎて嫌われることはなく、むしろ、成功者として称えられるのが普通だ。 で、村上氏の場合だが、どうやら「むちゃくちゃ儲けた」というのは、トータルが一定であるような資産を、自分やファンド投資家のほうに移動させただけという印象が強い。少なくとも村上氏自身が何かを生産したというふうには見えてこない。もし村上氏が、物を言う株主として、それぞれの企業の中長期的な体質改善を迫ったり、地球規模の環境問題に取り組む企業を育てようとしていたのなら、もっと評価されていたに違いない。しかし実際には、村上氏は経営コンサルタントではないし、けっきょく短期的な収益を目当てに動いていただけと見なされ、「嫌われる」結果となった。 (2)の「儲けはどういう集団に還元されるのか」も重要な視点である。儲けることに絶対的な善し悪しはない。但し、利益が自分一人に還元されるような行動をする人は「利己主義者」と呼ばれる。人類全体への還元を重視する人は「博愛主義者」とか「慈善家」と呼ばれる。その中間として、国家や民族の利益を追求する人、企業や組織の利益を追求する人、地域社会の利益を追求する人、家族や一族の利益を追究する人がいる。村上氏の場合は、村上氏自身や村上ファンド投資家のみの利益を追求してきたことによって、当然、その集団の外からは「嫌われる」ようになる。これは当然の成り行きであろう。 強大な権力を持つ国王は、その国の支配階層や国民一般からは敬愛されるが、他国からは嫌われる。植民地時代の資産家が自国民に慈善活動を行えば、その恩恵を受ける人々からは称えられるが、支配下で虐げられている人々からは嫌われて当然。農地拡大に尽くした人は、飢饉から人々を救った英雄として称えられるが、棲み処を奪われた野生動物たちからは嫌われる...。 ということで、村上氏がこれから先、「嫌われることなく、むちゃくちゃ儲け」ることを望むなら、何らかの価値の生成に貢献し、かつ、利益(もしくは価値一般)は、なるべく広い集団(できれば人類全体)に還元されるような活動に身を投じるほかはあるまい、と思ってみたりする。 |