じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真]
9月に入って、田んぼの稲穂が見えるようになってきた。写真上は田植え前(6月11日撮影)。写真下は9月4日撮影。


9月5日(火)

【思ったこと】
_60905(火)[心理]日本行動分析学会第24回年次大会(2)科学的精神と実験的方法

 昨日に引き続いて、某私立大学長のI先生の公開記念講演の感想。

 I先生は、心理学教育が、コンテンツよりも態度、つまり科学的精神を身につけるという点で重要であることを強調されたが、このことの意味について私なりに考えてみた。

 ここでいうコンテンツというのは、例えば「○○理論では××は次のように定義され、△△という現象は以下の公式に当てはまる」といった、具体的な現象、概念、理論に関する知識的な内容ではないかと私は受け止めた。そう言えば、今回のパワーポイントスライドの中で、I先生ご自身が御留学中に提出されたリポートが「初公開」された。高い評価を受け、当時の著名な心理学者スペンスから弟子入りを勧められたという貴重な映像であったが、そのタイトルは「D×K or D+K?」であることが読み取れた。「D×K or D+K?」という議論は私が学部学生だった30数年前にはしばしば話題にされていたが、いまとなっては歴史的遺物にすぎないと言っても過言ではあるまい。要するにコンテンツには時代とともに変わる部分があるということだ。

 しかしそのいっぽう、その時に培われた実験的方法は、今なお最先端の研究に活かされている。トラックの運転に例えるならば、どういう荷物を積むかということは時代によって変わる。しかし、荷崩れしないようにちゃんと荷物を積んだり、トラックを安全に運転したり、万が一故障した時に応急修理ができるといった技術は、荷物の中味が変わっても活かすことができるというのと同様であろう。

 もっとも、心理学界の中には、実験的方法だけが科学的であるという固定観念に囚われ、現実から遊離した実験室実験にあけくれ、実験群と対照群の間に有意差が見られたという結果をもって「科学的に実証された」と過度に一般化する研究者も皆無とは言えない。いま挙げたトラックの運転の例にあてはめるならば、「梱包できない荷物は運ばない(←実験的方法のレールに乗らない現象は研究対象としない)」、「家屋でもピアノでも、何でもかんでもバラバラに解体して積み込む(←諸要因の相互の連関や全体的なバランスを無視して実験操作を行う)」といった弊害にも目を向けるべきであろう(このあたりの議論は、長谷川(1998)や、長谷川(2005)などをご高覧いただきたい)。

 ということもあり、ここで言われている「科学的精神」は、必ずしも実験的方法という狭い意味に限定するのではなく、
  • より多面的な物の見方、あるいはいろいろな可能性を想定できる力。いわゆる「クリティカルシンキング」
  • 多様な研究方法の中から最善の方法を選択したり組み合わせたりできる力
  • 自然科学万能ではなく、社会構成主義的な視点も取り入れること
  • 行動の原因を「心」あるいは身体の内部に求めるのか、それとも外界との関わりの中に求めるのか、について好みやフィーリングではなく、しっかりした論拠が示せること
  • 絶対的な真理があると仮定してその解明をめざすのか、予測や制御を目的とした有効性の改良に力点を置くのか、について好みやフィーリングではなく、しっかりした論拠が示せること
といった議論を踏まえたうえでの「精神」として養成されるべきだ、というのが私の考えである。

 次回に続く。