じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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9月22日と23日の日の出。22日(写真左)はアパートの北側の窓から、23日(写真右)は南側のベランダから撮影。秋分の日を過ぎると、南側のベランダからの日の出が眺められるようになる。
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【ちょっと思ったこと】
秋分の日クイズ この日記で何度か取り上げた話題ではあるが、秋分の日(9/23)にちなんだクイズ。次のうち、秋分の日について正しく書かれてあるのは何番でしょうか?
まず1.だが、高緯度帯(北極や南極)を除けば、ほぼ正しいと言えると思う。但し、厳密に言えば、秋分というのは天球上の黄経180度の点(秋分点)を太陽が通過する瞬間であり、今年の場合は日本時間の13時3分となっている。従って、今年の秋分の日は、日本では、真東よりごくわずか北よりの位置から日の出があり、真西よりごくわずか南よりに日が沈むはずだ。 2.も同様であり、日本時間の13時3分に南中を迎える赤道帯に限って天頂を通ることになるはず。 3.は間違いで、秋分の日より少し前から白夜が始まっていると思う。理由は、太陽のほぼ半分がすでに地平線の上にあるため。 4.は間違い。太陽の上の縁が地平線に達した瞬間を日の出や日の入りと定義しているため、ほぼ太陽の直径が移動する分だけ昼間のほうが長くなる。秋分の日の岡山市の日の出は5時52分、日の入りは6時01分。なお、岡山市では9月27日に、日の出が5時55分、日の入りも5時55分で、日の出と日の入りの時刻が全く同じになる(=昼と夜の長さが同じになる)ほか、なんと、数字がすべて「5」のゾロ目となる。9月27日は、日本の多くの地方で昼と夜の長さがぴったり同じになるが、東京では「日の出5時32分、日の入り5時32分」、広島では「日の出6時1分、日の入り6時1分」であって、ゾロ目にはならない。2002年9月25日の日記に書いたように、日の出と日の入りの時刻がぴったり5時55分になる地域というのは、日本国内では、岡山や高松など、ごく狭い経度のエリアに限られている。 |
【思ったこと】 _60922(金)[心理]日本教育心理学会第48回総会(6)選択の自由の及ばない機会の格差? 日本教育心理学会第48回総会1日目に行われた、 ●「学習資本主義」社会と教育改革‐「自ら学ぶ力」の格差問題‐ という特別講演の感想の6回目。 まず、ブログについての追記。昨日の日記で、 ●個人化が進む社会では、自伝をつくることが礼賛される。 ことの一例として、ブログの流行が挙げられたことについて書いたが、ブログは必ずしも「一貫性のある単一の自己」を確立することにはつながらないように思う。特に、匿名でいろんなブログを書き分けているような人では、自己は分散化してしまう。 このことを含めて、浅野(2005)は『「多元化する自己」の広がり』の中で 第一に、労働力市場の流動化に伴って標準的な人生物語が失効すると同時に、自己責任をべースにした新しいシステムはそれぞれの場面において各人が自分自身についての物語を語るよう強く要求するようになってきている(各種入試や就職・転職における自己アピール等)。というようなことを指摘している。講演者のK氏と浅野氏との間で何らかの論争が行われているのか、それともけっきょく似たことを主張しているおられるのかは、私には勉強不足で分からない。ちなみに、今回の学会総会の別のシンポでは浅野氏が指定討論者として出演された。このことの感想については、本連載の後のほうで記す予定である(但し、慣例により、当該日記では「浅野氏」ではなく「A氏」と表記する予定)。 さて、K氏の御講演の終わりのほうでは、某中学で実施された調査結果が披露された。中学生の子の授業理解度、家での学習時間、調べ学習の積極性、グループ学習時にリーダーになるかといった傾向が、母親の学歴や父親の職業と有意に関係ありというような結果であり、このことは、「個人の選択の自由の及ばない機会の格差」を示すものである、という御主張であったと理解した。 統計的に確認された結果自体については異論は無いのだが、私の理解する限りでは、その差はそれほど顕著ではないようにも見えた。また、母親が高等教育を受けているかとか父親がどういう職業に就いているかということは初期条件であって動かしがたいとしても、そのことがダイレクトに子どもの勉学に影響を及ぼしているのか、それとも、それぞれの初期条件のもとでの大多数の親の教育態度が影響を及ぼしているのかは定かではない。後者であるならば、必ずしも「機会の格差」ということにはならない(←以上の部分は、一部、長谷川の理解不足により誤解があるかもしれない。念のため)。 あの総会から早くも一週間が過ぎようとしているのに、最初の講演についての感想ばかり書くのはちょっと長すぎる。ということもあり、御講演についての感想はあと1回をもって最終回とする予定である。 |