じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真]
レオノチスの拡大写真。ユーモラスな容姿で、毎年この時期に、通りすがりの人々の目をひきつける。


11月11日(土)

【ちょっと思ったこと】

土月土日

 十一月十一日は、漢数字で縦に書くと「土月土日」あるいは「士月士日」というように見える。この文字の形と関係があるのだろうか、文科相宛の手紙の予告日がこの日に設定されていたために、東京・豊島区内の中学では徹夜の警戒態勢がとられたという。

 この日は所用で夕刻に上京したところであったが、JR京浜東北線の新橋駅と小田急線の豪徳寺駅で人身事故があったとのニュースを聞いた。人身事故といっても、鉄道会社側に落ち度があれば大ニュースになるはず。原因が明示されない「人身事故」というのは、結局、安全対策では防ぎきれない性質の人身事故ということだろうか。これも土月土日に関係があるのか、天気が悪かったせいなのかは不明。

 人の命にかかわる問題について万全の態勢をとることは大切であろうと思うが、大々的に報道することは果たして防止に役立つのか、それとも逆に「ぼくも わたしも」というように類似の行動や連鎖現象を誘発してしまう恐れは無いのか、慎重に対処する必要があると思う。

【思ったこと】
_61111(土)[心理]日本心理学会第70回大会(9)心理学界が目指すべき資格制度のあり方(7)


●心理学界が目指すべき資格制度のあり方〜心理職の国資格化をめぐって〜

の感想の7回目。

 フロアからの質問では他に、
  1. 自殺者が増えているというスライドがあったが、資格を作ったら本当に自殺者は減るのか?
  2. 資格を国資格にしたら何がよくなるのかというエビデンスが必要ではないか?
という意見が出された。

 このうち1.は非会員の一般市民の方からの質問であり、T氏(臨床心理士のお立場)の話題提供の最初のほうで、失業者数が1992年頃の150万人規模から2002年の350万人超まで直線的に増加しているのに対して、自殺者数は1997年頃までは2万人前後で横ばい、その後3万人前後に急増したという折れ線グラフを示したことに反応されたものと思う。T氏は、その次のスライドで大前研一氏の『新資本論』を引用しながら
グローバル化やIT技術革新の中で、人・物・情報・マネーの流れが極度に加速し多様な価値観に、自らを適応させていかなければならない時代になってきた。仕事の質や量の激変に伴う種々のストレスに対して、心と身体を守る戦略が必要!
と指摘、その上で、医療領域のみの国資格=医療心理師ばかりでなく、医療にとどまらない種々の領域を包括した心理職を国家資格化する必要を説かれていた。

 心理職の活躍の場が医療にとどまらないという点はまことにもっともであるとは思ったが、だからこそ

心理学関連の諸学会が種々の資格を認定している中で、なぜ「臨床心理士」だけを国資格化をする必要があるのか。規制緩和の流れの中で、国の関与は最小限にとどめるべきではないか。民間資格のままで各種資格認定団体が互いに切磋琢磨し質の向上につとめ、ユーザー側に選択の権利を与えることが大切ではないか。

という疑問が出てきたのではなかったか。




 エビデンスについてもしばしば疑問が投げかけられている。昨日もリンクしたが、例えば、文科省のこちらのページには、 スクールカウンセラー採用にあたって、
  • 臨床心理士のみを配置した自治体
  • 臨床心理士以外を30%以内で配置した自治体
  • 臨床心理士以外を30%以上配置した自治体
それぞれにおいて、1校あたりの問題行動件数の減少率を比較した資料が掲載されている。調査の結果は

臨床心理士以外を30%以上配置した自治体のほうがむしろ大きな事業成果を得られている

という「意外」なものであった。臨床心理士優先採用(=臨床心理士以外の者の採用を原則30%以内にする)という原則を見直すべきだという方向性が示されているようだが、このことは施策に反映したのだろうか。いずれにせよ、スクールカウンセラー採用にあたっては、学校心理士、臨床発達心理士、健康心理士など、臨床心理士以外の有資格者も平等に採用すべきであるし、また、心理学意外の教育経験者、例えば、学校教員定年退職者、地域の元気なお年寄りや、地元のお寺のお坊さんなども幅広く採用すべきであるというのが私の持論である。

※なお、この件に関しては昨年5月にfpr(心理学研究の基礎、Foundations of Psychological Research)というメイリングリストで意見交換がなされたことがあった。こちらに発言ログが公開されている。





 このほか、学会あるいは認定協会が資格を認定することによって、かなりの収入をあげているという指摘もあった(元発言は、指定討論者のM氏)。これは別に、今回話題の学会、認定協会に限定された話ではない。10月13日の日記でも取り上げたように、社団法人日本心理学会の事業収入1億5500万円のうち、認定心理士資格審査・認定料収入が1億1200万円にのぼっており、当期収入全体2億3500万円の約半分を占めている。

 資格認定協会と学会を別組織にしているところも少なくないとは思うが、同じような構成員で組織され、総体として収益を上げているならば実態は同じであろう。

 さらに言えば、講演会や研修会、シンポなどを会費をとって実施し、それらに参加したことを資格更新のための(もしくは、上級資格取得のための)累積ポイントに換算している学会・認定協会も複数あるようだ。こうなると参加費収入もかなりの額になるし、資格取得者(もしくは取得希望者)はポイントを貯めるためにそれらの企画に確実に参加するようになり、このことが、会員数を維持しや安定的な学会「経営」を保つことになっているもの事実であろう。




●心理学界が目指すべき資格制度のあり方〜心理職の国資格化をめぐって〜

については、今回の企画をスタートとして、今後さらに意見を出し合い、情報を共有することが大切であろうと考えている。

 その際、1つだけ気になるのは、いまの日本の大学において、心理学関係の教員が原則論に立ち返って率直に意見を出し合える環境が保証されているのだろうかということだ。国内にはすでに、臨床心理士の指定大学院のコースを開設している大学がかなりの数にのぼっている。

 少子化のなか、いくつかの大学ではすでに定員割れが起こっているという。心理職養成を特色に掲げることは、きわめて有効な入学者確保策になるに違いない。そういう背景のもとで今後ますます心理職の国資格化の動きが強まるであろうし、そうなると、自身の所属する大学を苦況に導くような発言を差し控える教員も増えてくるものと予想される。

 しかし、何度も指摘しているように、資格問題は、誰にとって必要なのかという原則論に立ち返って議論しなければならない。主人公はあくまで、ケアやサポートを受ける当事者たちであることを忘れてはならない。また、国資格化が「こころ主義」(心理主義)の蔓延を助長することにはならないか、十分に注意を向けていく必要があるように思う。

(「国資格化」問題の感想はこれで最終回。但し、日本心理学会の感想はさらに続く)。