じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真]

 昨日に引き続いて、梅の花を前景にした月と木星の写真撮影に挑戦。とりあえず1枚の画像には収まったが、インパクトはイマイチ。


2月12日(月)

【思ったこと】
_70212(月)[心理]サステイナビリティ学連携研究機構公開シンポ(8)共生とは何か

 2月3日に東大・安田講堂で行われた表記のシンポの参加感想の8回目。

 3名の方々の基調講演に引き続いて、

●「資源・エネルギーから考える持続可能な未来社会」

という総合討論が行われた。

パネリストとして参加されたのは、
  • 松尾友矩氏:東洋大学学長
  • Peter Wilderer(ピーター・ウィルダラー)氏:欧州科学芸術アカデミー・サステイナビリティ高等研究所所長
  • Leena Srivastava(リーナ・スリバスタバ)氏:エネルギー資源研究所(TERI)エグゼクティブディレクター
  • Garry Brewer(ゲリー・ブルーワー)氏:イエール大学教授モデレータ
  • 武内和彦氏:東京大学教授・IR3S副機構長
であった。

 このうち松尾氏は

●「共生」の概念の英語表記

について、生物学専門用語「Symbiosis」、環境白書等における「Harmonious Coexistence」、その他、「Living Together」や「Co-operative Living」などを比較解説された。ちなみに、「共生」は「共存」(Coexistence)や「共栄」(Mutual Prosperity)とは意味内容が異なっている。

 上の例にもあるように、もともと「共生」という概念は英語起源ではなく英語には訳しにくい。もとの出典は唐代の善導大師の「願諸衆生、往安楽圏」に由来し、日本では、「共に幸せに生きる」という含意を得て、横尾弁匡氏が用いたのが始まりだという。現代社会が解決を求められている課題は各種の対立構造の中から出現しており、その解決策を提案する1つの考え方として「共生」が用いられるようになったという。

 そう言えば、少なくとも私が高校生の頃までは「共生」という言葉は全く使われていなかったように思う。ま、あの頃はまだ冷戦の中で「平和共存」が叫ばれていた時代であった。




 ところで共生というと、普通は、「自然と人間との共生」というように、個体それぞれがお互いを尊重し共に生きるというような意味であるように思われるが、松尾氏によれば、「共生」は個体間の関係ではなくむしろ「個と共同体との関係」に焦点があてられているとのことであった。また、その共同体は、家族や地域社会、国家のみならず、自然を含む共同体として位置づけられ、次世代の人まで配慮したものでなければならない。

 もし単一の宗教が世界中どこでも信じられていたならば、神の教えを守れば直ちに共生が実現することになるはずであった。しかし現実には、宗教は今や対立の原因にもなっている。それゆえ、自然界を含めた安定的な共同体の保持のために「共生学」が求められるという次第だ。

 「共生」概念については私自身もこのWeb日記で何度か取り上げたことがある。上記の点に関して言えば、まず、種としての共生と個体間の「共生」とは別物だということだ。例えば、クマノミとイソギンチャクは片利共生の関係にあると言われているがこれはあくまで種間の話。クマノミどうしは、餌や交尾相手をめぐって競争しているかもしれない。人間においても、「自然と人間の共生」をめざす思想は、人間同士で仲良くしましょうという思想とは必ずしも一致しない。人間同士が仲良しになる思想が環境破壊をもたらすことだってある。

 第二に、ウィキペディア
...日本でも1980年代までの生態学者の書いた教科書では、影響しあう2種の生物の種間関係を、捕食-被食関係、競争関係、共生関係、寄生関係の4つのパターンに分類し、これらのうち、あくまでも主流とみなすべきは捕食被食関係と競争関係であり、共生や寄生は例外的なものとして重視するべきではないと書かれたものもあった。

しかし、その後理解が進むにつれて共生が普遍的な現象であり、生態系を形成する基本的で重要な種間関係の一つであることが認識されてきた。また、かつては共生と寄生は別の現象とみなされたが、関係する生物相互のバランスによって双方が利益を得る状態(相利共生)から片方が利益を得てもう片方が被害を受ける状態(寄生)まで連続して移行しうる例が多く検出され、互いにはっきりと分離できないことがわかってきた。そのため現在では、共生という種間関係は相利共生や寄生といった関係をすべて含む上位概念として捉えられている。
と説明されているように、生物学的な意味での共生概念には変遷があり、必ずしも「対立構造の中から出現しており、その解決策を提案する1つの考え方」にはならない点にも留意する必要がある。

 さらに言えば、我々はふだん、多様な種が混在する自然風景を目にしているが、あれは一見「共生」であるように見えて、実は、生存競争のバランスの上に成り立っていることが多い。環境破壊というのはしばしば、共生をぶちこわすのではなく、生存競争のバランスを変えてしまう時に起こる。





 話題提供の最後のところで松尾氏は、

 「四則演算は万国共通の法則」であり、「引き算の方法が国によって異なり、お釣りの出し方が違えば、安定的な国際秩序は保てない」という例を引き合いに出して、「共通の法則」としての「共生学」の重要性を説かれていたが、うーむどうかなあ、お釣りの額は共通であるとしても、お釣りの計算のしかたは文化によってずいぶんと異なるように思われる。というか、日常生活では引き算を殆ど使わない国もある(→お釣りを出す時には、足し算で計算をするという国は結構多い)。

 このあたりのことはおそらく、社会構成主義的に精査していく必要があるのではないかと思うのだが、このことは別の機会に論じることとしたい。

 ちなみに、今回取り上げられた話題は、

●『共生のかたち 「共生学」の構築をめざして』(ISBN:4414120535)

で詳しく解説されているとのことなので、とりあえず、この本を入手してから私なりの考えを述べさせていただきたいと思う。

 次回に続く。