| 【思ったこと】 _70322(木)[心理]第一回構造構成主義シンポジウム(12)構造構成主義の医療領域への展開(2)斎藤清二氏と高木廣文氏による話題提供
 
 3月11日に早稲田大学で開催された
 
 ●第一回構造構成主義シンポジウム:わかりあうための思想をわかちあうためのシンポジウム
 
 の感想の11回目。
 
 第三部のパネルディスカッション「構造構成主義の医療領域への展開」では、京極氏に引き続いて、斎藤清二氏から「医学と臨床実践」に、高木廣文氏から看護学に、それぞれ構造構成主義を導入する新たな枠組みについて貴重な話題提供をいただいた。
 
 お二方の話題提供はたいへん貴重なものであったが、なにしろ時間が少ない(持ち時間それぞれ20分)。事前に関連書を読み尽くしている方でないと、内容を把握することはなかなか難しかったのではないだろうか。
 
 備忘録代わりに、いくつか印象に残った点をメモさせていただく【主として、スライド画面の書き写し】。
 
時間が無くなったので、本日のところはメモのみにとどめておく。なお、エビデンスに関しては、3月21日に立命館大学で行われた別のシンポでも「心理療法におけるエビデンスとナラティヴ」がテーマとして取り上げられており、これについては別途考えを述べることにしたい。医=Medicineの主体は、科学体系としての「医学」であり、その体系に基づいて行われる応用実践が「医療」である。
医学には、生物科学的医学と人間科学的医学がある。前者は論理−実証主義パラダイムを採用する。後者は、人間を要素に分割できない「全体」であるとみなす。
POS(問題解決システム)における客観・主観問題:主観的な情報(S、患者の愁訴)→客観的な情報(O、検査、診る)→評価(A)→計画(P、治療計画)。
医療者としての「私1」のほかに、患者と医療者全体を見る「私2」の存在。
適切な物語構成は、説明可能感、対処可能感、有意味感を生成することを通じて、健康生成に貢献する。
Evidence Baced Nursing重視の動向:では、エビデンスって何?
量か質かは「心」次第。心は「こと」、内部世界であり質的研究。「もの」は外部世界である量的研究の対象。
科学とは同一性の探究である。
質問紙調査や尺度構成は「こと」の「もの」化である。「もの」化し測定することで共通了解(確信の成立が容易)が得られ、厳密科学として発展する。
質的研究に対しては、「ケースの選び方が恣意的で少数すぎる」「データの分析、解釈が主観的である」といった批判がある。しかしそれに対する質的研究者の回答は「質的研究が分かっていない」、「グランデッド・セオリー・アプローチだからよいのだ方式」、「理解しなくて結構方式」といったものであり、このことによって、養老孟司氏の言うような「バカの壁」ができ、相互不信、信念対立が起こる。これらの対立は、構造構成主義による相互理解や、量的と質的の本質的相違の理解によって低減するが、それだけでは不十分。
質的研究の方法論においては「主観的な解釈の意味」「テクストの解釈の正当性の根拠」「得られた結果の一般化可能性」を積極的に提示していくことが、質的か量的かという対立の解消につながる。
認識構造の同一性/同形性の仮説は原理的には証明不可能だが、真善美に対する価値観や喜怒哀楽などの感情面では違いがないように思われる。
質的研究の結論に対して「そんなことなら私にだって初めから分かっている」という反応があることは、認識構造の同一性/同形性の証拠。
質的研究の結論はしばしば「調査をしなくてもある程度予測できる」内容となるが、経験の相違により、全てが同一/同形とは限らない。いかにしてプラスαの結論を導出できるかが、質的研究者の腕の見せ所である。
量的研究は統計的一般化、質的研究は分析一般化として特徴づけられる(Yin、1994)。分析的一般化は、現象への整合性で一般化の程度を評価。
質的研究の今後の課題としては、
が挙げられる。認識構造の同一性/同形性の信念成立の条件のより詳細な検討。
グランデッド・セオリー・アプローチなどの質的研究の方法論の構造構成主義からの検討。
結果の信憑性を高めるための方法の検討および開発。
トライアンギュレーションの実施。
 
 
 次回に続く。
 
 
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