じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真]
 4月6日の日記でもふれたが、新年度の授業がいよいよ始まり、講義棟周辺には大量の自転車が駐められていた。駐輪禁止エリアもご覧の通り。ひどいところでは道路をふさぐように何重にも駐められていた。

 念のため、同じ周辺の自転車置き場を回ってみたが、写真左下のように、入り口から離れた場所ではまだまだ駐める余地あり。もっとも、立命館大(←3月21日の日記参照)のように迷惑駐輪の無いスッキリしたキャンパスをめざすためには、学生・教職員のライフスタイルのコペルニクス的転回が必要。要するに、「自転車は、登校・出勤時に指定場所に駐輪し、下校・退勤時までは動かさず、徒歩で構内を移動する」という徒歩主体のライフスタイルに転換すること。このほうが健康にもよろしい。

 1000人の学生が自転車で4箇所に駐めようとすると、1000×4=4000台分の駐輪場が必要となり、大学構内は駐輪場だらけになってしまうが、指定場所に駐めて徒歩で移動するように義務づければ1000台分の駐輪場だけで済む。そのほうがキャンパス全体の環境美化にもつながる。



4月10日(火)

【思ったこと】
_70410(火)[教育]第13回大学教育研究フォーラム(4)寺崎昌男氏の講演(1)ディシプリン重視型か課題重視型か


 27日の午後は、尾池和夫・京大総長の挨拶に続いて、寺崎昌男氏(立教学院本部調査役・東京大学名誉教授/大学教育学会会長)による、

●大学教育をどう再構築するか−リベラル・アーツ、資格教育、そして大学院教育−

という特別講演が行われた。

 さて、寺崎氏によれば、「学士教育課程」という言葉は1988年の大学教育学会の頃から使われるようになった。1991年の大綱化では、教養部設置見直しや自己評価の部分に注目が集まったが、もう1つ忘れてならないのが「学士」という学位を明確にしたことである。またその際には、「○○学士」ではなく、「学士(専攻分野)」というように、カッコ内に専門分野を記す形に変更された点にも留意しておく必要がある。

 とにかく、このことによって、大学は、学士を出すための教育を行う機関となり、また、専門分野の表記は、必ずしも従来のディシプリン(discipline)に囚われなくてもよいこととなった。そのことを反映し、その後15年余りの間に、次々と新しい名前の学部や学科が誕生、その特徴は、ディシプリンから「課題探究・解決型」という点にあるという(←長谷川の聞き取りのため、不確か)。

 岡山に戻ってから実際に検索してみたとこと、確かに、
  • ○○大学危機管理学部
  • ○○大学環境創造学部
というように、名称だけ見ても、どういう学問領域・専門分野なのかディシプリンが浮かんで来ないような学部が新設あるいは改組されていることが分かった。

 なお、ディシプリン重視か課題重視かということについては、後の討論の中でもいくつかの考えが示されていた。私個人としては、どちらもアリ、研究対象によってケースバイケースとして対応するしかないと考えている。

 一般論として、それぞれのディシプリンには何百年にもわたる知の集積がある。これらを体系的に学ぶことは、卒業後、さまざまな課題に対処できる能力を養うという点で大いに意義がある。いくら課題探求、課題解決と言っても、種々の学問分野から活用できる部分を断片的に寄せ集めてきて教育しても、体系的な知識として活用できるどうかは不明。目先の課題解決には有用だが、何十年も先のところまで見通せるかどうか、つまり長期的な時間軸の中に自分を位置づけられるかどうかという点で不安が残る。

 しかしその一方、伝統的な学問領域というのは、ともすれば、閉じた空間での再生産に終始し、直面する社会問題や環境問題等に対処できる即戦力を養成できないという問題もある。私が携わってきた心理学などもまさにそういう面を持っており、伝統的な実験心理学のディシプリンは、質的研究や社会構成主義の大きなうねりの中で、存立が危ういところまで追い込まれているようにも思える。

 ディシプリン重視型か課題重視型かという問題は、受験生の選択によっても決まってくる。いまや、放っておいても学生がいっぱいやってくるという時代から「学生においでいただく」時代となった。いくらディシプリン重視を説いても、志願者が激減すれば課題型に転換せざるをえない。そういう意味では、経営に敏感な私学のほうで、課題重視型の学部や学科が増えているようにも見受けられる。

次回に続く。