じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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宵の明星と時計台。今年前半の金星は、太陽の東側にあってゆっくりと地球を追い抜いていくため、長期間にわたって、一番星として夕空に君臨することになる。6月18日には金星食(食自体は日本では見られないが、月と接近した様子が見える)、7月12日には最大光度マイナス4.5等。
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【思ったこと】 _70417(火)[教育]第13回大学教育研究フォーラム(8)大山氏の話題提供(2)教養教育をめぐる言説 大山氏の話題提供: ●専門職化と教養教育の葛藤−問題の所在はどこか?− の感想2回目。 話題提供の中ほどで大山氏は、教養教育再編の経緯を概観された。スライド画面をメモしておくと
例えば、私の大学では、旧・教養部の講義棟・研究棟のことを一般教育棟と呼んでおり、一部の学生のあいだでは「パンキョウ」と言う言葉が交わされているようだ。これらは、おそらくこの時代の名残であろう。 Googleで「共通教育」を検索するとヒットするように、「共通教育」は今でもいくつかの大学の公式用語となっている。私の大学では、内規の中で「全学共通教育に係る教育評価の実施」というように使われることはあるが、カリキュラム用語としては定着しておらず、現在はもっぱら「専門教育科目」、「教養教育科目」、...というように呼ばれている。 では、「一般教育」の時代から「教養教育」の時代に移る中で、授業の中味はどう変わったのだろうか。確かに、種々の教育方法改善の試み(学生による授業評価、多元的な成績評価、履修登録上限制、個々の授業についての自己評価、GPA導入検討など)のほか、教養教育科目の主題科目化、外国語教育改善など、改善された点は多いが、内容そのものは依然として担当教員の自由裁量に任されているという面もある。学士課程教育の中で、こういう科目がぜひとも必要であるという議論がなされた上で必要な科目が開講されるというよりは、卒業要件単位数や学生数、教員数をもとに担当コマ数が量的に割り振られ、そのもとで担当教員が、各自の専門領域と関連づけながら、他学部学生にも分かりやすいレベルで「教養」的な授業を展開しているというのが実情ではないかと思う。 大山氏は、2002年中教審答申「新しい時代における教養教育のあり方」の中の 【新たに構築される教養教育は,】学生に,グローバル化や科学技術の進展など社会の激しい変化に対応し得る統合された知の基盤を与えるものでなければならない。各大学は,理系・文系,人文科学,社会科学,自然科学といった従来の縦割りの学問分野による知識伝達型の教育や,専門教育への単なる入門教育ではなく,専門分野の枠を超えて共通に求められる知識や思考法などの知的な技法の獲得や,人間としての在り方や生き方に関する深い洞察,現実を正しく理解する力の涵養など,新しい時代に求められる教養教育の制度設計に全力で取り組む必要がある。を引用し、求められる能力の具体例として「コンピテンシー」や「コミュニケーション能力」が挙げられている点を指摘し、さらに、「高等普通教育(General Education)」と教養教育(Liberal Arts)の違いについて論じられた。時間が短かったこともあり、このあたりをじっくりと考える余裕は無かったが、スライド画面に基づいて整理すれば
ちなみに、上記の中教審2002年答申の中では ということも強調されているのだが(アンダーラインは長谷川による)、大規模な大学で組織的に取り組むためには、まだまだ克服すべき問題が多いように思う。 次回に続く。 |