じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 今回の台風9号で大幅に増水したと伝えられる多摩川の普段の様子(撮影場所はこのあたり)。写真上の2枚は2005年夏、いちばん下は2006年夏に撮影。中州の草の生え方が著しく異なるなど、刻々と姿を変えていることが分かる。この近辺では、河川敷生活者の小屋やテントが散見されたが、今回の増水ですべて流されたものと推測される。



9月7日(金)

【ちょっと思ったこと】

多摩川への想い/河川敷で暮らす人たち

 関東から東北地方を縦断した台風9号は、9月08日06時現在、札幌市の北西約30kmにあって、北に30km速さで進んでいる。この台風ではこれまでに、長野県で男性1人が死亡、神奈川県で1人が行方不明、けが人は関東や東北地方などで71人に上っているという。

 この台風は、関東地方に大雨をもたらし、東京都・神奈川県境を流れる多摩川が増水し、東京都世田谷区は7日早朝、川沿いの玉川1丁目などの約600世帯、約1200人に一時、避難勧告を出した。避難勧告の対象地域に含まれる東急田園都市線二子玉川駅脇の二子橋では濁流が橋げた近くまで迫った。普段は運動場や散歩道として使われている河川敷は完全に水没したという(以上、気象庁台風情報、NHKオンライン、日経ネット等の記事からの引用)

 世田谷生まれの私にとって、多摩川は特別な存在である。幼少の頃は、「玉電」に乗って、二子玉川園に連れて行ってもらった(1955年9月の写真参照)。生まれて初めて見た大きな川も、当然、多摩川であった。

 幼稚園、小学校、中学、高校のすべてが世田谷区内にあったので、生まれてから18年間は、私の身体の水分の99%以上は、多摩川の水であったと言って間違いない。

 さて、今回、多摩川の濁流の様子が伝えられた時に真っ先に気になったのは、河川敷で暮らしている人たちはどうなっただろうかということであった。上の写真は、多摩水道橋(狛江〜登戸を結ぶ橋)から撮影したものであるが、このあたりの河川敷には、青いシートをかけた小屋やテントが複数散見された。不法滞在であることは間違いないが、少なくとも数年以上は同じ場所に建てられていたことからみて、管理者は、形式的、事なかれ主義的に退去要請をするだけで、実質、黙認状態にあったものと推測される。であるからして、いったい、何人が暮らしているのか分からない。今回の台風接近や増水の情報がどこまで伝えられたのかも不明である。

 現在までのところ、この台風の人的被害は「1人死亡、1人行方不明」などと伝えられているけれども、河川敷生活者の中には、誰にも知られることなく流されてしまった人がいる可能性もある()。

 それにしても、ここに住んでいた人たちはどうやって生計を立てていたのだろうか。都市空間の路上生活者とは少々異なり、よりワイルドな生活をしていたようにも見える。とはいえ、川でサカナを捕るだけでは食べて行かれないと思う。救助された人たちはどこかの施設で保護されるのか、それとも、いずれ違法を承知で河川敷生活に戻るのか、気になるところである。

「野宿生活をしている人たちが河川敷に取り残されるなどし、二十九人が救助された」とのニュースあり。