じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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9月27日(木)は、岡山近辺の地域にとって特別の日である、昼と夜の長さがピッタリ12時間となることに加えて、日出5時55分、日没5時55分というように、時・分の数字がすべて5になるからである。
2002年9月25日の日記に関連記事あり。なお、3月17日前後にも、昼と夜の長さが同じになるが、その際に5時55分日出&5時55分日没となる地域は、2007年の場合、静岡市清水区(旧・清水市)のあたりとなる。また、2008年の場合は閏年のため1日ずれて、9月26日がもっともそれに近い日となるが、、秒単位の差違が影響して、岡山市の日出は5時55分、日没は5時56分。このほかの地域にお住まいの方で御興味のある方はこちらで計算してください。 ※写真左は27日朝の様子。東の空に雲があり、日出を眺めることはできなかった。写真右は前日26日朝の日出。 |
【ちょっと思ったこと】
三角大福の順番 福田内閣は26日午前、皇居で福田康夫首相の親任式と閣僚認証式を経て正式に発足した(←9月25日夕刻の総理大臣はまだ安倍晋三氏?)。 私の世代にとって福田内閣と言えば、福田赳夫内閣のほうが真っ先に浮かぶのだが、数年ごとに次々と交替されていく中で、どういう順序であったのか、次第に記憶が混乱してきた。 福田赳夫内閣の頃は、「三角大福」という言葉をよく聞いたものであったが、ウィキペディアなどで改めてそのことを調べてみると、私の頭の中ではいつのまにか、順序を取り違えていることに気づいた。 私が間違って記憶していたのは
順序を取り違えて記憶しているのはなぜだろうか、と思ってみたが、1つは、福田氏と田中氏が総裁選で争って田中氏が勝利した、という場面がけっこう強く記憶されているためであった。じつはあの時点では、福田氏は一度も田中氏に勝てなかったのであった。 三木おろしの次は大平内閣であったという間違いは、たぶん、福田、大平の両氏が同じ程度に力を持っていて、私個人にとっては大平氏のほうがインパクトが強く、記憶の変容が起こったためと思われる。 大平氏が現職総理のまま死去された後からは、ますます記憶が混乱し、直近の5代(橋本→小渕→森→小泉→安倍)を除くと、どういう御名前の方が首相であったかは挙げることはできても、順番を正確に言うことはきわめて困難。中曽根内閣と小泉内閣以外は、いずれも2年前後で交替しており、特に、宇野内閣となると、失礼ながら、どういう成果をあげた内閣であったのか、さっぱり思い出せない。 歌謡曲を聞くと、それが流行った時代の生活が思い出されて懐かしく感じられるものだが、歴代総理大臣のお写真を拝見しても懐かしさが出てこないのはなぜだろうか。やはり、音楽や風景写真でないと、情緒的な反応は引き出せないのだろうか。 余談だが、ウィキペディアによれば、福田康夫氏は1949年3月、G大学附属世田谷小を御卒業とのことである。主要閣僚の中には、少なくとももうお一人、G大学附属世田谷中御卒業の方がおられる。これをもって、「G大学附属内閣」とするのはちょっと大げさかなあ。 |