じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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1957年7月頃。お隣の人を前に、鉄パイプを振り回して力自慢をしているところ。孫悟空のマネか。鉄パイプは古いガス管と思われる。撮影場所に生えているのはヤツデ、オモト、柿の木など。 |
【思ったこと】 _71005(金)[心理]日本心理学会第71回大会(15)“ネガティブ”な要因のポジティブな生かし方(1) 日本心理学会第71回大会の2日目夕刻は、 “ネガティブ”な要因のポジティブな生かし方 19日 16:00-18:00というワークショップに参加した(敬称略)。 このワークショップを選んだのは、単純にタイトルに惹かれたためであり、企画者や話題提供者の方々がどういう研究をしておられる方なのかは事前には全く存じ上げなかった。会場に行ってみると、若さに満ちあふれており、お顔を拝見しているだけでも、ネガティブな気持ちがポジティブに変わっていくような雰囲気であった。 タイトルからの連想として、何でもかんでも「かえって良かった」と解釈してしまう「良かったちゃん」スキル、例えば、
ワークショップではまず企画者から、研究のスタンスとして、Norem(2001)の ●No size fits all.(全てにフィットする1つのサイズはない) という名言が紹介された。これは、今回の“ポジティブ"、“ネガティブ"がまさにそうであるように、1つの法則すべてあてはめて説明できないというような意味で使われたようだ。なおNoremという人は、対処的悲観性(Defensive Pessimism)の研究者として知られている。 さて、心理学では、“ネガティブ”な要因は不適応を引き起こすと考えられがちであり、それを取り除くか、ポジティブ要因を増やすことで相対的に軽減するというような形で、改善をはかろうとしてきた。いっぽう、“ポジティブ要因”についてはこれまではあまり目を向けられてこなかったが、最近、「ポジティブ心理学」が提唱され、注目されつつある(←島井哲志氏を中心に「ポジティブ心理学研究の最前線」というワークショップが毎年出されており、昨年は拝聴したものの、感想を書く時間が無かった。今年は残念ながら、別の会場に出ていて、その続きをうかがうことができなかった)。しかし、 “ポジティブ”な要因→適応 “ネガティブ”な要因→不適応 という図式だけでなく、交差することもありうるのではないか、時・状況・文化・特性・プロセスなどの相互作用によっては “ポジティブ”な要因→不適応 “ネガティブ”な要因→適応 というような「クロス」もあるのではないか、というのが、今回のワークショップの着眼点のようであった。 指定討論者からも指摘があったと記憶しているが、ここで問題となるのは、ポジティブ、ネガティブをどう定義するのか、という点である。これらの言葉が“ "でくくられていることからも分かるように、“ネガティブ"が本当にネガティブなのかどうかも検討していかなければならない。 私のほうで素朴に考えてみるに、まず、世の中には、絶対的な意味でのネガティブ、ポジティブは存在しない。ライオンがシマウマを捕まえて食べるということは、ライオンにとってはポジティブだが、シマウマにとってはネガティブ。人類滅亡は人類にとってはネガティブだが、人類によって被害を被ってきた生物たぢにとってはポジティブかもしれない。 しかし、到達目的が明確な場合、そのローカルなレベルにおいては、目的に向かって順調に進展している状況はポジティブ、いっぽう、それが停滞したり後退しているような状況はネガティブであると定義してもよいかと思う。もっともこの場合も、視野を広げたり、より長期的な視点に立つと見方が変わることもある。一人の人間にとって、合格や就職や結婚はたぶんポジティブな現象と言えるが、どんな人も最後は必ず死ぬ。未来永劫にポジティブなどということは、個人のレベルでは決してありえない。 以上とは少し見方を変え、あらゆる現象はすべて中性的であって、ポジティブかネガティブかはすべて主観的な受け止めに過ぎない、というように受け止めることもできる。 さらに、何らかの生理指標や質問紙を用いて、ストレスや不安のある状態を“ネガティブ"、リラックスあるいはより積極的な快感や充実感がある状態を“ポジティブ"と定義することもできないわけではない。じっさい、今回のワークショップでは、特性不安が大きく取り上げられていた。 次回に続く。 |